R5.9.3 京都教区合同礼拝式

題: 「あふれる恵み」 説教:教区長 内田純牧師
聖書の箇所 「詩篇23篇1~6節」(旧約P.954)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
1主は私の羊飼い。
私は乏しいことがありません。
2主は私を緑の牧場に伏させ
いこいのみぎわに伴われます。
3主は私のたましいを生き返らせ
御名のゆえに 私を義の道に導かれます。
4たとえ 死の陰の谷を歩むとしても
私はわざわいを恐れません。
あなたが ともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖
それが私の慰めです。
5私の敵をよそに あなたは私の前に食卓を整え
頭に香油を注いでくださいます。
私の杯は あふれています。
6まことに 私のいのちの日の限り
いつくしみと恵みが 私を追って来るでしょう。
私はいつまでも 主の家に住まいます。

2023 年度教団標語は「転換点を迎えて-過去への感謝、現在への確信、未来への指針」です。私たちを取り巻く状況はいつも転換点の連続です。その中で、私たちにとって大切な「変わらぬこと」を見ていきましょう。
①平穏なときにも恵み 1~3節
ここでは「主と私」の関係を「羊飼いと羊」という関係で表現しています。羊は弱く迷いやすい存在です。様々な情報に振り回され、人生という道に迷っていませんか。私たちは平穏なときも、主のゆるぎない導きと適切なケアを必要としているのです。
②危機のときにも恵み 4~5節
危機的状況で「主と私」は「あなたと私」へ変化し、より近い関係になります。私たちには敵(様々な問題)が立ちはだかり、次々と襲ってくることがあります。ところが、すぐに自分で何とかしようとします。しかし、その問題に立ち向かわれるのは主です。平穏なときだけでなく、危機のときこそ、主とより親しい関係を築く好機となるのです。
③とこしえまでも恵み 6節
「私」は緑の牧場、みぎわ、死の陰の谷、敵の前を経て主の家に住まいます。「主と私」は「あなたと私」、そして主の家族となります。『恵みが追って来る』とあります。恵みが平穏なときにもあふれ、危機のときこそますますあふれ、どこまでも追いかけ、押し上げ、主に近づけ、ついに主の家に住まわせるのです。恵みは、あったりなかったりするものではありません。決して欠けることがなく、絶えず共にあるのです。人生は転換点の連続です。その中で変わらぬことがあります。主が導き、恵みを振るまい、もてなし続けておられることです。私たちにできる変わらぬことは、身近な人と主の恵みを分かち合い、もてなすことです。そこから恵みはあふれ出すのです。

礼拝の模様は下記のリンクからYouYubeでご覧ください。

京都教区合同礼拝 2023/09/03 – YouTube

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