「題」 「聖なる主を見る」
聖書の箇所 「イザヤ書6書1~8節」(旧約P.1176)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
1 ウジヤ王が死んだ年に、私は、高く上げられた御座に着いておられる主を見た。その裾は神殿に満ち、
2 セラフィムがその上の方に立っていた。彼らにはそれぞれ六つの翼があり、二つで顔をおおい、二つで両足をおおい、二つで飛んでいて、
3 互いにこう呼び交わしていた。
「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満ちる。」
4 その叫ぶ者の声のために敷居の基は揺らぎ、宮は煙で満たされた。
5 私は言った。
「ああ、私は滅んでしまう。この私は唇の汚れた者で、唇の汚れた民の間に住んでいる。しかも、万軍の主である王をこの目で見たのだから。」
6 すると、私のもとにセラフィムのひとりが飛んで来た。その手には、祭壇の上から火ばさみで取った、燃えさかる炭があった。
7 彼は、私の口にそれを触れさせて言った。「見よ。これがあなたの唇に触れたので、あなたの咎は取り除かれ、あなたの罪も赦された。」
8 私は主が言われる声を聞いた。「だれを、わたしは遣わそう。だれが、われわれのために行くだろうか。」私は言った。「ここに私がおります。私を遣わしてください。」
1,御座に着いておられる主を見る
1~2節「ウジヤ王が死んだ年に、私は、高く上げられた御座に着いておられる主を見た。その裾は神殿に満ち、セラフィムがその上の方に立っていた。」
イザヤは主を見たと言いますが、神殿に満ちている主の裾が見えただけでした。それだけ主は大いなるお方ということです。しかも、主の栄光は全地に満ちるとセラフィムが賛美します。主はイスラエルだけでなく、世界を完全に支配される絶大なお方です。
2,主を見た者の姿
5節「私は言った。『ああ、私は滅んでしまう。この私は唇の汚れた者で、唇の汚れた民の間に住んでいる。しかも、万軍の主である王をこの目で見たのだから。』」
イザヤは主の絶大なる姿に触れて、自分がどれほど主を知らない者であったかに気づきます。主の聖なる姿に触れるとき、自分自身がどれほど、みこころにかけ離れた存在であるかを知らされます。イザヤほどの預言者でも、自分は滅んでしまう、汚れた唇の者だと告白するほどです。
3,主は咎を取り除かれる
7節「彼は、私の口にそれを触れさせて言った。『見よ。これがあなたの唇に触れたので、あなたの咎は取り除かれ、あなたの罪も赦された。』」
主がイザヤにご自分の姿を現され、イザヤの汚れを示されたのは、滅ぼされるためではありません。イザヤを救い、すべての人を罪からきよめるためです。主にすべてを告白し、明け渡すなら、主はその咎を取り除いてくださり、主によって生きる者に変えてくださるのです。