R5.3.26 礼拝式

「題」 「イエス様の友とされる」
聖書の箇所 「ヨハネの福音書15章12~17節」(新約P.216)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
12 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
13 人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
14 わたしが命じることを行うなら、あなたがたはわたしの友です。
15 わたしはもう、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべなら主人が何をするのか知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。父から聞いたことをすべて、あなたがたには知らせたからです。
16 あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。
17 あなたがたが互いに愛し合うこと、わたしはこれを、あなたがたに命じます。

1、いのちを捨てられるほどの友としてくださる
13 節「人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」
イエス様が十字架でいのちを捨てられたのは、弟子たちを、そして私たちを友として愛しておられたからです。ただの友ではありません。イエス様は、私たちをこれ以上はできないという大きな愛で愛したいと思うほどの友と思っておられるのです。

2、友として選んでくださる
16 節「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。」
イエス様は私たちと友となることを選んでくださいました。私たちが罪を犯し、神様から離れてしまっても、なお友として愛してくださいました。何があっても、イエス様から受けた友情によって私たちが実を結ぶことができると、信じて期待してくださるのです。

3、互いに愛し合うこと
17 節「あなたがたが互いに愛し合うこと、わたしはこれを、あなたがたに命じます。」
私たちは自己中心に生きるなら、神様に対しても人に対しても交わりを失い、孤立していのちを失います。イエス様の友情による十字架は、私たちにいのちの救いと交わりの回復を与えてくださいます。この救いの力により、お互いの間に愛と平和の実が結ばれるのです。

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