R5.2.12 礼拝式

「題」 「たとえそうでなくても」
聖書の箇所 「ダニエル書3章8~30節」(旧約P.1511)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
8 このため、この機会に、あるカルデア人たちが進み出て、ユダヤ人たちを中傷して言った。
9 彼らはネブカドネツァル王に告げた。「王よ、永遠に生きられますように。
10 王よ。王は『角笛、二管の笛、竪琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞く者は、すべてひれ伏して金の像を拝め。
11 ひれ伏して拝まない者はだれでも、火の燃える炉の中へ投げ込め』と命令されました。
12 あなたがバビロン州の行政をつかさどらせた何人かのユダヤ人がおります。シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴです。王よ。この者たちはあなたを無視して、あなたの神々に仕えず、お建てになった金の像を拝みもいたしません。」
13 ネブカドネツァルは怒り狂い、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを連れて来るように命じた。それでこの三人は王の前に連れて来られた。
14 ネブカドネツァルは彼らに対して言った。「シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴよ。おまえたちは私の神々に仕えず、また私が建てた金の像を拝みもしないというが、本当か。
15 今、もしおまえたちが、角笛、二管の笛、竪琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞いたとき、ひれ伏して、私が造った像を拝むなら、それでよい。しかし、もし拝まないなら、おまえたちは、即刻、火の燃える炉の中に投げ込まれる。どの神が、私の手からおまえたちを救い出せるだろうか。」
16 シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは王に答えた。「ネブカドネツァル王よ、このことについて、私たちはお答えする必要はありません。
17 もし、そうなれば、私たちが仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ、あなたの手からでも救い出します。
18 しかし、たとえそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々には仕えず、あなたが建てた金の像を拝むこともしません。」
19 すると、ネブカドネツァルは怒りに満ち、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴに対する顔つきが変わった。彼は炉を普通より七倍熱くするように命じた。
20 また彼の軍隊の中の特に力の強い者たちに、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを縛って、火の燃える炉に投げ込むように命じた。
21 三人は、上着や下着やかぶり物の衣服を着たまま縛られ、火の燃える炉の中に投げ込まれた。
22 王の命令が急であり、炉が非常に熱かったので、その炎はシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを持ち上げた者たちを焼き殺した。
23 この三人、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは、縛られたままで、火の燃える炉の中に落ちて行った。
24 そのとき、ネブカドネツァル王は驚いて急に立ち上がり、顧問たちに尋ねた。「われわれは三人の者を縛って火の中に投げ込んだのではなかったか。」彼らは王に答えた。「王様、そのとおりでございます。」
25 すると王は言った。「だが、私には、火の中を縄を解かれて歩いている四人の者が見える。しかも彼らは何の害も受けていない。第四の者の姿は神々の子のようだ。」
26 それから、ネブカドネツァルは火の燃える炉の口に近づいて言った。「シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ、いと高き神のしもべたちよ、出て来なさい。」そこで、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは火の中から出た。
27 太守、長官、総督、王の顧問たちが集まり、三人を見たが、火は彼らのからだに及んでおらず、髪の毛も焦げず、上着も以前と変わらず、火の臭いも彼らに移っていなかった。
28 ネブカドネツァルは言った。「ほむべきかな、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの神。神は御使いを送って、このしもべたちを救い出された。王の命令に背いて、自分たちのからだを差し出しても神に信頼し、自分たちの神のほかはどんな神にも仕えず、また拝まないこの者たちを。
29 それゆえ、私は命令する。諸民族、諸国民、諸言語の者のうち、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの神に対して不敬なことを口にする者はだれでも、八つ裂きにされ、その家はごみの山とされる。このように救い出すことのできる神は、ほかにないからだ。」
30 それから王は、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴをバビロン州で栄えさせた。

1、救いの確信
16~17 節「シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは王に答えた。『ネブカドネツァル王よ、このことについて、私たちはお答えする必要はありません。もし、そうなれば、私たちが仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ、あなたの手からでも救い出します。」
シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは、「どの神が、私の手から救い出せるか」との王のことばに即座に答えます。当時の世界で最も大きな力をもつ王を前にしても、3人の救いの確信は揺るぎませんでした。

2、たとえそうでなくても
18 節「しかし、たとえそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々には仕えず、あなたが建てた金の像を拝むこともしません。」
「たとえそうでなくても」とは、救い出すことができなくてもという意味ではありません。救い出してくださるから信じるのではありませんという信仰の告白です。神様は無条件で私たちを愛してくださいます。私たちも「たとえそうでなくても」と無条件で信じる者となりましょう。

3、インマヌエルの神様
25 節「すると王は言った。『だが、私には、火の中を縄を解かれて歩いている四人の者が見える。しかも彼らは何の害も受けていない。第四の者の姿は神々の子のようだ。』」
イザヤが「わたしは、あなたとともにいる。…火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。」(イザヤ書43 章2節)と預言した通りになりました。主は試練の外からではなく、試練の中にともにいてくださり、救いとなってくださるインマヌエルの神様です。

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