R4.12.11 礼拝式

「題」 「人となって住まわれた神様」
聖書の箇所 「ヨハネの福音書1章29~34節」(新約P.176)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
29 その翌日、ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。
30 『私の後に一人の人が来られます。その方は私にまさる方です。私より先におられたからです』と私が言ったのは、この方のことです。
31 私自身もこの方を知りませんでした。しかし、私が来て水でバプテスマを授けているのは、この方がイスラエルに明らかにされるためです。」
32 そして、ヨハネはこのように証しした。「御霊が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを私は見ました。
33 私自身もこの方を知りませんでした。しかし、水でバプテスマを授けるようにと私を遣わした方が、私に言われました。『御霊が、ある人の上に降って、その上にとどまるのをあなたが見たら、その人こそ、聖霊によってバプテスマを授ける者である。』
34 私はそれを見ました。それで、この方が神の子であると証しをしているのです。」

1、罪を取り除く神の子羊
29 節「その翌日、ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て言った。『見よ、世の罪を取り除く神の子羊』。」
聖書が語る罪とは、道を踏み外している状態にあることを言います。しかし、人生の正しい目的がわからない者が、どうして正しい道がこれだと知ることができるでしょうか。そのような迷子である私たちを救い、正しい道を教え導いてくださるため、イエス様は地上に来られました。

2、すべてにまさるお方、先におられたお方
30 節「『私の後に一人の人が来られます。その方は私にまさる方です。私より先におられたからです』と私が言ったのは、この方のことです。」
私にまさる方、私より先におられた方ということは、イエス様がすべてにまさり、私たちが造られるより前におられた神様と等しいお方ということです。私たちが道を踏み外しているのは、神様を知らず、自分勝手な道を歩んでいたからです。イエス様は、そのような私たちの罪のため、身代わりとなって救いを与えてくださいます。

3、聖霊によって洗礼を授けるお方
33 節「私自身もこの方を知りませんでした。しかし、水でバプテスマを授けるようにと私を遣わした方が、私に言われました。『御霊が、ある人の上に降って、その上にとどまるのをあなたが見たら、その人こそ、聖霊によってバプテスマを授ける者である』。」
バプテスマは浸す、一つに合わせられるという意味があります。イエス様が私たちの罪の身代わりとなられたことを信じてバプテスマを受けるなら、私たちはイエス様と一つにされて罪からの救いを受けます。そして、神の子として神様とともに生きる者とされるのです。

 

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