R4.7.17 礼拝式

「題」 「命は財産にあるのではない」
聖書の箇所 「ルカの福音書12章13~21節」(新約P.141)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
13 群衆の中の一人がイエスに言った。「先生。遺産を私と分けるように、私の兄弟に言ってください。」
14 すると、イエスは彼に言われた。「いったいだれが、わたしをあなたがたの裁判官や調停人に任命したのですか。」
15 そして人々に言われた。「どんな貪欲にも気をつけ、警戒しなさい。人があり余るほど持っていても、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」
16 それからイエスは人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。
17 彼は心の中で考えた。『どうしよう。私の作物をしまっておく場所がない。』
18 そして言った。『こうしよう。私の倉を壊して、もっと大きいのを建て、私の穀物や財産はすべてそこにしまっておこう。
19 そして、自分のたましいにこう言おう。「わがたましいよ、これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ休め。食べて、飲んで、楽しめ。」』
20 しかし、神は彼に言われた。『愚か者、おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
21 自分のために蓄えても、神に対して富まない者はこのとおりです。」

1、命は財産にあるのではない
15 節「そして人々に言われた。『どんな貪欲にも気をつけ、警戒しなさい。人があり余るほど持っていても、その人のいのちは財産にあるのではないからです。』」
多くの人が、命の価値をどのような能力をもっているか、どれだけ成功したかという、持っているもので測ろうとします。しかしイエス様は、その人の命はその人のもっているものによるのではないと言われます。

2、命は誰のものなのか
19~20 節「そして、自分のたましいにこう言おう。『わがたましいよ、これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ休め。食べて、飲んで、楽しめ。』しかし、神は彼に言われた。『愚か者、おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』」
ある金持ちが余るものを得て、たましいは満たされたと宣言します。しかし神様は、今夜おまえのたましいは取り去られると宣言されます。人があり余るものを持っていても、命の充足を得ることはできません。なぜなら、人の命は神様が与えてくださったものだからです。

3、神様に対して富む者
20 節「自分のために蓄えても、神に対して富まない者はこのとおりです。」
神様に対して富むとは、神様との関係が豊かであること、神様の愛に満たされているということです。神様は私たちと愛の関係を結ぶため、イエス様を地上に遣わされました。私たちはイエス様を信じる信仰によって、神様との関係が結ばれ、命が豊かに満たされます。

 

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