「題」 「イエス様のまなざし」
聖書の箇所 「ルカの福音書22章54~62節」(新約P.168)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
54 彼らはイエスを捕らえ、引いて行き、大祭司の家に連れて入った。ペテロは遠く離れてついて行った。
55 人々が中庭の真ん中に火をたいて、座り込んでいたので、ペテロも中に交じって腰を下ろした。
56 すると、ある召使いの女が、明かりの近くに座っているペテロを目にし、じっと見つめて言った。「この人も、イエスと一緒にいました。」
57 しかし、ペテロはそれを否定して、「いや、私はその人を知らない」と言った。
58 しばらくして、ほかの男が彼を見て言った。「あなたも彼らの仲間だ。」しかし、ペテロは「いや、違う」と言った。
59 それから一時間ほどたつと、また別の男が強く主張した。「確かにこの人も彼と一緒だった。ガリラヤ人だから。」
60 しかしペテロは、「あなたの言っていることは分からない」と言った。するとすぐ、彼がまだ話しているうちに、鶏が鳴いた。
61 主は振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います」と言われた主のことばを思い出した。
62 そして、外に出て行って、激しく泣いた。
1、遠く離れてついて行く
54 節「彼らはイエスを捕らえ、引いて行き、大祭司の家に連れて入った。ペテロは遠く離れてついて行った。」
「ついて行った」は従うという意味もあります。ペテロはイエス様により頼みつつ従ったのではなく、自分の力で、イエス様から遠く離れて従いました。私たちも、自分の力で従おうとして、神様の恵みから離れているということはないでしょうか。
2、三度知らないと言う
60 節「しかしペテロは『あなたの言っていることは分からない』と言った。するとすぐ、彼がまだ話しているうちに、鶏が鳴いた。」
イエス様が大祭司の家で尋問を受けている最中に、ペテロもまた中庭で尋問を受けます。ところがペテロはイエス様の弟子であることを否定します。ペテロは自分を捨てることができず、信仰を捨ててしまいました。人間的努力では、信仰を保つことはできないのです。
3、イエス様のまなざし
61 節「主は振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、『今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います』と言われた主のことばを思い出した。」
ペテロはイエス様が「あなたは三度わたしを知らないと言います」と言われたことばを忘れていました。自分がそのようなことをするはずがないと、主のみことばを軽んじ、自分自身を信じてしまいました。その頑ななペテロを、そしてわたしたちを、主は見捨てることなく、愛のまなざしをもって見つめてくださいます。そのまなざしによって私たちは自分の愚かさに気づかされ、主の恵みを信じる者とされます。