R4.1.23 礼拝式

「題」 「永遠の命と交わり
聖書の箇所 「ヨハネの黙示録22章1~5節」(新約P.518)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
1 御使いはまた、水晶のように輝く、いのちの水の川を私に見せた。川は神と子羊の御座から出て、
2 都の大通りの中央を流れていた。こちら側にも、あちら側にも、十二の実をならせるいのちの木があって、毎月一つの実を結んでいた。その木の葉は諸国の民を癒やした。
3 もはや、のろわれるものは何もない。神と子羊の御座が都の中にあり、神のしもべたちは神に仕え、
4 御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の御名が記されている。
5 もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、ともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは世々限りなく王として治める。

1、いのちの水
1~2節「御使いはまた、水晶のように輝く、いのちの水の川を私に見せた。川は神と子羊の御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。」
イスラエルは日本とは違い、川が少なく、水は大変貴重でした。ですから水はいのちそのものでした。そのいのちをもたらす川の水が、中央を流れているという情景は、とても大きな恵みです。しかもその川は神と子羊の御座から出ているので、川の水は決して涸れることのない、永遠のいのちの流れです。

2、永遠の交わり
3~4節「もはや、のろわれるものは何もない。神と子羊の御座が都の中にあり、神のしもべたちは神に仕え、御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の御名が記されている。」
キリストが子羊として十字架にかけられたことで、すべてのものが、のろいから贖い出されました(ガラテヤ人への手紙3章13 節)。私たちが律法ののろいの中にあるときは、その働きが報われないことがありました。しかしのろいから贖い出された者は完全に神様のものとされ、その労苦は決して無駄になることはありません。

3、主の光に生きる
5節「もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、ともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは世々限りなく王として治める。」
夜がないということは、悪や偽りがないということです。真理が明らかにされたとき、悪も不義も完全に力を失うからです。主の真理の光に照らされた私たちは、もはや罪に悩まされることなく、主と共に御国を永遠に治め、永遠の祝福に生きるのです。

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