「題」 「神様を人生の主とする」
聖書の箇所 「ヨシュア記24章14~15節」(旧約P.423)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
14 今、あなたがたは主を恐れ、誠実と真実をもって主に仕え、あなたがたの先祖たちが、あの大河の向こうやエジプトで仕えた神々を取り除き、主に仕えなさい。
15 主に仕えることが不満なら、あの大河の向こうにいた、あなたがたの先祖が仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のアモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、今日選ぶがよい。ただし、私と私の家は主に仕える。」
1、誠実と真実をもって仕える
14 節「今、あなたがたは主を恐れ、誠実と真実をもって主に仕え、あなたがたの先祖たちが、あの大河の向こうやエジプトで仕えた神々を取り除き、主に仕えなさい。」
「誠実」は「傷のない」という意味もあります。また「真実」は「嘘、偽りない」という意味です。神様は私たちに罪のない御子を与えてくださるという偽りない心で愛してくださいます。この神様の愛によって、私たちは傷がなく、偽りのない存在に変えられます。
2、仕える神様を選ぶ
15 節「主に仕えることが不満なら、あの大河の向こうにいた、あなたがたの先祖が仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のアモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、今日選ぶがよい。」
私たちは自分が仕えている存在、頼りとしている存在に似たものとなります。頼りとする存在がいのちを持たないもの、朽ちるものであるなら、私たちもいのちを失い、朽ちる存在となります。いのちを造られ、与えてくださる神様に仕えることを選んだ人生はさいわいです。
3、神様との人格的な交わり
15 節「ただし、私と私の家は主に仕える。」
神様は生きておられます。ですから神様を人生の主としてお迎えし、仕えるには、神様と顔と顔とを合わせて礼拝することが必要です。聖書のことばを生きておられる神様のことばと信じて受け入れ、神様に形式的ではない、祈りのことばと献身の姿で応えるなら、私たちのうちに聖霊が満たされ、いのちの力に満たされます。