R3.10.3 礼拝・聖餐式

「題」 「必要なことは一つだけ
聖書の箇所 「ルカの福音書10章38~42節」(新約P.136)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
38  さて、一行が進んで行くうちに、イエスはある村に入られた。すると、マルタという女の人がイエスを家に迎え入れた。
39  彼女にはマリアという姉妹がいたが、主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた。
40  ところが、マルタはいろいろなもてなしのために心が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。」
41  主は答えられた。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。
42  しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」

1、主の足もとに座る
39 節「彼女にはマリヤという姉妹がいたが、主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた。」
足もとに座るのは、弟子がとる姿勢です。ユダヤ教では女性が弟子となることは許されておらず、女性が教師の足もとに座って教えに聞き入ることはあり得ないことでした。しかし、イエス様は罪人、取税人を招かれて弟子とされるお方です。マリヤは誰でもイエス様の弟子となることができると信じて、足もとに座りました。

2、多くのことで心を乱す
41 節「主は答えられた。『マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。』」
マルタは、いろいろなもてなしのため、イエス様のもとに心を落ち着けることができませんでした。マルタは自分の行いによってイエス様の弟子として仕えようとしました。ところが、マルタはみこころを求めることよりも、自分のすることで心がいっぱいになっていました。それでイエス様から心が離れてしまいました。

3、必要なことは一つだけ
42 節「しかし、必要なことは一つだけです。マリヤはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」
私たちはイエス様の弟子となるために、多くのことが必要だと考え、自分は欠けが多いと心配してしまいます。ところがイエス様は「必要なことは一つだけです」と語られます。イエス様がすべての必要を満たしてくださるお方であるという、信仰一つで十分です。イエス様を信じてみそばに近づく権利は、決して取り上げられることはありません。

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