R3.8.8 主日礼拝

「題」 「イエス様にとどまりなさい
聖書の箇所 「ヨハネの福音書15章1~11節」(新約P.215)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
1 わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫です。
2 わたしの枝で実を結ばないものはすべて、父がそれを取り除き、実を結ぶものはすべて、もっと多く実を結ぶように、刈り込みをなさいます。
3 あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、すでにきよいのです。
4 わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
5 わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。
6 わたしにとどまっていなければ、その人は枝のように投げ捨てられて枯れます。人々がそれを集めて火に投げ込むので、燃えてしまいます。
7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。
8 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになります。
9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい。
10 わたしがわたしの父の戒めを守って、父の愛にとどまっているのと同じように、あなたがたもわたしの戒めを守るなら、わたしの愛にとどまっているのです。
11 わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたが喜びで満ちあふれるようになるために、わたしはこれらのことをあなたがたに話しました。

1、イエス様はぶどうの木、私たちは枝
5節「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしのとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。」
枝が幹から離れて実を結ぶことができないように、私たちはイエス様から離れては何もすることができません。イエス様から力を受けて実を結ぶ枝とされることを喜び、イエス様にとどまりましょう。

2、イエス様のみことばをとどめる
7節「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。」
イエス様は、私たちをみことばの力によってご自分にとどまる者としてくださいます。みことばは私たちを罪からきよめ、イエス様に心を向けさせる力があります。また、イエス様は権威あるお方なので、「あなたを愛する」と語られたみことばは、その通り実現するのです。

3、イエス様の愛にとどまる
9~10 節「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい。わたしがわたしの父の戒めを守って、父の愛にとどまっているのと同じように、あなたがたもわたしの戒めを守るなら、わたしの愛にとどまっているのです。」
イエス様のみことばをとどめることは、イエス様の愛にとどまることでもあります。みことばの内にあるイエス様の愛が心に満たされるなら、私たちに豊かな愛の実が結ばれます。イエス様が私たちを、ご自分の実を結ぶ枝として選んでくださいました。この愛に感謝しましょう。

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