R3.8.1 礼拝・聖餐式

「題」 「イエス様が道であり真理
聖書の箇所 「ヨハネの福音書14章1~7節(新約P.213)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
1 「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
2 わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかっなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。
3 わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。
4 わたしがどこに行くのか、その道をあなたがたは知っています。」
5 トマスはイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうしたら、その道を知ることができるでしょうか。」
6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもともとに行くことはできません。
7 あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになります。今から父を知るのです。いや、すでにあなたがたは父を見たのです。」

1、心を騒がせてはならない
1節「あなたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」
イエス様はラザロの死を悲しむ人々を前に、心を騒がせられました(ヨハネの福音書11 章33 節)。また十字架を思い、心を騒がされました(ヨハネの福音書12 章27 節)。イエス様は罪と死の力に心を騒がせることをも身に受けてくださり、わたしたちを解放してくださいます。

2、場所を用意しに行く
2節「わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。」
住むところがたくさんあるなら、どうしてイエス様は場所を用意しに行かれるのでしょう。それは私たちが住人としてふさわしい者となるため、十字架と復活によって用意をされるということです。父の家の住まいは、私たちが行いによって備えるのではなく、イエス様が愛と恵みによって備えてくださるのです。

3、道であり真理であるお方
6節「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。』」
「わたしが道」と言われたのは、私たちが教えによって自ら歩む道を見つけ出すのではなく、イエス様の歩む後を従うことで正しい道を歩むことができるということです。また、イエス様ご自身が真理なので、私たちが真理を理解することによってではなく、イエス様を信じることで私たちのうちに真理が全うされ、救われます。

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