R3.6.6 主日礼拝

「題」 「主を恐れる
聖書の箇所 「箴言1章7~19節」(旧約P.1092)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
7 主を恐れることは知識の初め。 愚か者は知恵と訓戒を蔑む。
8 わが子よ、父の訓戒に聞き従え。 母の教えを捨ててはならない。
9 それらは、あなたの頭に戴く麗しい花の冠、 首にかける飾りだから。
10 わが子よ。罪人たちがあなたを惑わしても、 それに応じてはならない。
11 もし彼らがこう言っても。 「一緒に来い。人の血を流すために待ち伏せしよう。 咎なき者を、理由なしにひそかに狙い、
12 よみのように、彼らを生きたままで吞み込もう。 全き者たちを、墓に下る者のようにして。
13 値打ちのある物は何でも見つけ出し、 奪った物でわれわれの家を満たそう。
14 われわれはくじで分け合い、 皆で一つの金入れを持とう。」
15 わが子よ、彼らと一緒に道を歩いてはならない。 彼らの通り道に、足を踏み入れてはならない。
16 彼らの足は悪に走り、 人の血を流すのに速いからだ。
17 網を張るのは無駄なこと。 すべて翼あるものの目の前では。
18 彼らが待ち伏せしているのは自分の血を流すため、 隠れ狙っているのは自らのたましい。
19 不正な利得を貪る者の道はみな、このようなもの。 それを得る者たちはたましいを取り去られる。

1、主を恐れる
7節「主を恐れること」
主の恐るべき力を知り、主を恐れる者は、この世のどのような力も、死の力さえも恐れる必要はないと信じることができます。しかも、主はその力を、身代わりに十字架にかかられるほどに私たちを愛する愛によって与えてくださいました。十字架による主の恐れ多い愛と恵みは、私たちをあらゆることから救う力があります。

2、知識の初め
7節「主を恐れることは知識の初め。」
「初め」は「最高」「代表」という意味もあります。これは「基本」ということもできるでしょう。物事の壁にぶつかったときなど、基本に立ち返ることが大切です。困難に陥り、不安に捕らわれそうになるとき、主を恐れるべきこと、すでに十字架によって完全な救いをいただいているので、主以外に恐れることは何もないという事実に立つのです。

3、愚かな者
7節「愚かな者は知恵と訓戒を蔑む。」
「愚かな者」とは、聖書のみことばをないがしろにして、主を恐れることを知ろうとしない人のことです。主を恐れない人は、罪を恐れません。それどころか、自分の幸いのために悪を行うことをすることさえあります。そうして魂を失うことがないよう、主を恐れ、罪の恐ろしさを知るべきです。

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