R3.5.16 主日礼拝

「題」 「主は私の羊飼い
聖書の箇所 「詩篇23篇1~6節」(旧約P.954)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
1 主は私の羊飼い。 私は乏しいことがありません。
2 主は私を緑の牧場に伏させ いこいのみぎわに伴われます。
3 主は私のたましいを生き返らせ 御名のゆえに 私を義の道に導かれます。
4 たとえ 死の陰の谷を歩むとしても 私はわざわいを恐れません。 あなたが ともにおられますから。 あなたのむちとあなたの杖 それが私の慰めです。
5 私の敵をよそに あなたは私の前に食卓を整え 頭に香油を注いでくださいます。 私の杯は あふれています。
6 まことに 私のいのちの日の限り いつくしみと恵みが 私を追って来るでしょう。私はいつまでも 主の家に住まいます。

1、主は私の羊飼い
1節「主はわたしの羊飼い。私は乏しいことがありません。」
ダビデは自身の経験から、羊と自分、主と羊飼いを重ねて語っています。羊はとても弱く、自分たちだけでは生きていけない存在です。それなのに自分勝手なところがあります。これはわたしたちの姿です。その羊のような私たちの羊飼いである主は、いつくしみ深く、限りない愛のお方であることを示しています。

2、主がともにおられます
4節「たとえ 死の陰の谷を歩むとしても 私はわざわいを恐れません。あなたが ともにおられますから。」
谷は転落の危険性や、猛獣が潜む可能性などといった死の恐れが襲いかかる場所です。羊飼いはむちと杖をもって羊を引き寄せ、敵を退けることで、あらゆるわざわい解放します。私たちの主のむちと杖は、十字架と復活です。その救いの力は常に私たちと共にあり、敵を退けます。

3、いつまでも主の家に住まいます
6節「まことに 私のいのちの日の限り いつくしみと恵みが 私を追って来るでしょう。私はいつまでも 主の家に住まいます。」
主のいつくしみと恵みは「いのちの日の限り」つまり時々与えられるものでなく、生涯のあらゆる時に与えられます。それもふさわしいから与えられるのではなく、失われた者に与えるため追って来るのです。いつくしみと恵みは「いのちの日の限り」私たちを捕らえ続け、主の家、天国にまで導きます。

 

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