「題」 「なぜキリストは十字架に」
聖書の箇所 「マタイの福音書27章22~26節」(新約P.61)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
22 ピラトは彼らに言った。「では、キリストと呼ばれているイエスを私はどのようにしようか。」彼らはみな言った。「十字架につけろ。」
23 ピラトは言った。「あの人がどんな悪いことをしたのか。」しかし、彼らはますます激しく叫び続けた。「十字架につけろ。」
24 ピラトは、語ることが何の役にも立たず、かえって暴動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の目の前で手を洗って言った。「この人の血について私には責任がない。おまえたちで始末するがよい。」
25 すると、民はみな答えた。「その人の血は私たちや私たちの子どもらの上に。」
26 そこでピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスはむちで打ってから、十字架につけるために引き渡した。
1、罪を犯されなかったお方
23 節「ピラトは言った。『あの人がどんな悪いことをしたのか。』しかし、彼らはますます激しく叫び続けた。『十字架につけろ。』」
ピラトはイエス様が訴えられているのはユダヤ指導者たちのねたみであることを知っていました。イエス様には何の悪いところも認められませんでした。しかしユダヤ指導者たちに説得された群衆が「十字架につけろ」と激しく要求するのを、イエス様は静かに受け入れられます。その姿は旧約聖書イザヤ書 53 章に預言されている通りでした。
2、わたしたちの罪のため
24 節「ピラトは、語ることが何の役にも立たず、かえって暴動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の目の前で手を洗って言った。『この人の血について私には責任がない。おまえたちで始末するがよい。』」
ピラトは裁判官でありながら、保身のために責任を放棄し、正義を曲げて罪なき人を引き渡してしまいました。ユダヤ指導者たちは私利私欲のため群衆を間違った道に導きました。わたしたちもまた、自分のために正しさを曲げ、自分勝手な道を歩む者ではないでしょうか。
3、罪人の身代わりとして
26 節「そこでピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスはむちで打ってから、十字架につけるために引き渡した」
イエス様が十字架にかかられたのは、わたしたちを罪から救うため、身代わりとなるためです。イエス様が十字架にかかられたことで、極悪人のバラバが釈放されました。何があっても赦されないと思われる人が、イエス様の十字架によって釈放されたのです。イエス様の十字架を信じる人は、どんな罪も赦され、救われるのです。