「題」 「新たなる力を得る」
聖書の箇所 「イザヤ書40章27~31節」
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
40:27 ヤコブよ、何ゆえあなたは、
「わが道は主に隠れている」と言うか。
イスラエルよ、何ゆえあなたは、
「わが訴えはわが神に顧みられない」と言うか。
40:28 あなたは知らなかったか、
あなたは聞かなかったか。
主はとこしえの神、地の果の創造者であって、
弱ることなく、また疲れることなく、
その知恵ははかりがたい。
40:29 弱った者には力を与え、
勢いのない者には強さを増し加えられる。
40:30 年若い者も弱り、かつ疲れ、
壮年の者も疲れはてて倒れる。
40:31 しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、
わしのように翼をはって、のぼることができる。
走っても疲れることなく、
歩いても弱ることはない。
1、神様を知る恵み
28 節「あなたは知らなかったか、あなたは聞かなかったか。主はとこしえの神、地の果ての創造者であって、弱ることなく、また疲れることなく、その知恵ははかりがたい」。
ヘブル語の「知る」は、知識的に知ることではなく、体験的に知ることを意味します。神様が与えてくださる新たな力は、知識として知るだけでは得られません。神様の臨在を体験的に知ることで得られます。神様はわたしたちに体験として得られるいのちを与えてくださいます。
2、あらゆる人に与えられる力
29~30 節「弱った者には力を与え、勢いのない者には強さを増し加えられる。年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れはてて倒れる」。
「弱った者には力を与え」とありますが、新たなる力は弱い人限定ということではありません。人間は誰もが弱いのです。この世のどんな力も有限です。聖霊の助けを得なければ、誰もが力尽きて倒れます。すべての者が自分の弱さを認め、神様を待ち望むべきです。
3、新たなる力を得る
31 節「しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない」。
ヘブル語の「待ち望む」の元々の意味は、物をつかもうとして身体をねじることです。そこから「熱心に期待する」「待ち続ける」という意味で使われるようになりました。待ち望むとは、新たなる力を体験させてくださる神様を信じて、積極的に神様に向かうことです。信じて待ち望む者には、聖霊による変革が起こされます。