R2.11.29 主日礼拝

「題」 「クリスマスの約束
聖書の箇所 「イザヤ書9章1~7節」
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
9:1 しかし、苦しみにあった地にも、やみがなくなる。さきにはゼブルンの地、ナフタリの地にはずかしめを与えられたが、後には海に至る道、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤに光栄を与えられる。
9:2 暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。
暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。
9:3 あなたが国民を増し、その喜びを大きくされたので、
彼らは刈入れ時に喜ぶように、
獲物を分かつ時に楽しむように、
あなたの前に喜んだ。
9:4 これはあなたが彼らの負っているくびきと、
その肩のつえと、しえたげる者のむちとを、
ミデアンの日になされたように折られたからだ。
9:5 すべて戦場で、歩兵のはいたくつと、
血にまみれた衣とは、
火の燃えくさとなって焼かれる。
9:6 ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、
ひとりの男の子がわれわれに与えられた。
まつりごとはその肩にあり、
その名は、「霊妙なる議士、大能の神、
とこしえの父、平和の君」ととなえられる。
9:7 そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、
ダビデの位に座して、その国を治め、
今より後、とこしえに公平と正義とをもって
これを立て、これを保たれる。
万軍の主の熱心がこれをなされるのである。

1、暗やみに届く光
2節「暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った」。
クリスマスが与える救いの光は、全く光のない暗やみの中にある人々に届けられます。しかもそれは将来の約束でありながら、「見た」「照った」と完了形で語られるほど、間違いのない確かな約束です。どんな深い暗やみの中にある人をも、イエス様は探し出され、天国に入れてくださることを間違いのない事実として受け入れましょう。

2、わたしのためのクリスマス
6節「ひとりのみどりごがわれわれのために生れた。ひとりの男の子がわれわれに与えられた」。
クリスマスの救いは、他の誰でもない「われわれのため」に与えられる出来事です。神様はわたしたちの内に宿られて、栄光を現されることを願われます。そのためにイエス様は人となられて地上に降られました。救いの出来事であるイエス様のご降誕をわたし自身のためと個人的に受け入れるなら、内から救いの恵みがあふれ出ます。

3、不思議な恵み
6節「まつりごとはその肩にあり、その名は、『霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君』ととなえられる」。
「平和」はヘブル語シャロームで、広い意味は「充足」で、「平安」「繁栄」「健康」とも訳されます。イエス様は、議士、神、父、君主としての働きをもってわたしたちを救い、あらゆる面において満たしてくださいます。イエス様はいかなるときでも、どのような状況からもわたしたちを救い出されます。その救いはとこしえに失われることがありません。

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