R2.8.23 主日礼拝

「題」 「イエス様の祝福」
聖書の箇所 「マタイによる福音書14章13~21節 」
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
14:13 イエスはこのことを聞くと、舟に乗ってそこを去り、自分ひとりで寂しい所へ行かれた。しかし、群衆はそれと聞いて、町々から徒歩であとを追ってきた。
14:14 イエスは舟から上がって、大ぜいの群衆をごらんになり、彼らを深くあわれんで、そのうちの病人たちをおいやしになった。
14:15 夕方になったので、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「ここは寂しい所でもあり、もう時もおそくなりました。群衆を解散させ、めいめいで食物を買いに、村々へ行かせてください」。
14:16 するとイエスは言われた、「彼らが出かけて行くには及ばない。あなたがたの手で食物をやりなさい」。
14:17 弟子たちは言った、「わたしたちはここに、パン五つと魚二ひきしか持っていません」。
14:18 イエスは言われた、「それをここに持ってきなさい」。
14:19 そして群衆に命じて、草の上にすわらせ、五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、パンをさいて弟子たちに渡された。弟子たちはそれを群衆に与えた。
14:20 みんなの者は食べて満腹した。パンくずの残りを集めると、十二のかごにいっぱいになった。
14:21 食べた者は、女と子供とを除いて、おおよそ五千人であった。

1、イエス様の深いあわれみ
14 節「イエスは舟から上がって、大ぜいの群衆をごらんになり、彼らを深くあわれんで、そのうちの病人たちをおいやしになった」。
イエス様は祈りを必要とされ、寂しい所へ行かれました。ところが追ってきた群衆をご覧になると、深くあわれまれました。「深くあわれんで」は直訳で「内臓が動かされる」という意味です。イエス様の働き、救いは胸の奥を痛めるほどの愛が動機です。

2、弟子たちの限界
16~17 節「するとイエスは言われた、『彼らが出かけて行くには及ばない。あなたがたの手で食物をやりなさい』。弟子たちは言った、『わたしたちはここに、パン五つと魚二ひきしか持っていません』」。
弟子たちはパン五つと魚二匹しか持っていない現状にを見て、群衆の責任を持つことはできないと考えました。彼らの問題は自分たちの能力の限界ではありません。イエス様への信仰の限界です。イエス様の愛と救いに限界がないことをわたしたちは信じているでしょうか。

3、イエス様の祝福
19~20 節「五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、パンをさいて弟子たちに渡された。弟子たちはそれを群衆に与えた。みんなの者は食べて満腹した」。
弟子たちはパンと魚を「それが何になりましょう」(ヨハネによる福音書6章9節)と言い、使い物にならないと思いました。しかしイエス様が祝福されると、群衆全員を満腹させるものとして用いられました。あなたは自分の存在が一体何になるのだろうと思っていますか。イエス様の祝福を受けるなら、多くの人を満たす存在として用いられます。

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