R2.6.28 主日礼拝

「題」 「こう祈りなさい」
聖書の箇所 「マタイによる福音書6章7~13節」
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
6:7 また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。
6:8 だから、彼らのまねをするな。あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。
6:9 だから、あなたがたはこう祈りなさい、

天にいますわれらの父よ、
御名があがめられますように。
6:10 御国がきますように。
みこころが天に行われるとおり、
地にも行われますように。
6:11 わたしたちの日ごとの食物を、
きょうもお与えください。
6:12 わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、
わたしたちの負債をもおゆるしください。
6:13 わたしたちを試みに会わせないで、
悪しき者からお救いください。

1、くどくどと祈るな
7節「また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている」。
「言葉かずが多ければ」つまりどのように祈るかで、祈りが聞かれるのではありません。祈りは、わたしの必要をすべてご存知である神様に意識を向けることです。それなのに、どのように祈ったか、自分の行いに意識を向けることは、本来の祈りと方向が反対です。

2、天の父との親しい交わり
9節「天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように」。
すべてのことは、わたしから始まるのではありません。天から始まります。そのことを信じて委ねることが、祈りの第一歩です。「父」とは「パパ」に近い、親しみが込められた呼びかけです。天はわたしたちから遠く離れているという意味ではなく、超越しているという意味です。超越して存在されるお方が、わたしたちととても親しい父としての関係をもってくださるのです。

3、みこころが地でも行われるように
10 節「御国がきますように。みこころが天で行われるとおり、地にも行われますように」。
「御国がきますように」とは、神様のご支配がなされるようにという意味です。神様の全き愛によって統治される国が天国です。天国は、御子を犠牲にされるほどの、神様の強い意志、みこころによって実現される国です。イエス様は、天で行われている神様は愛の統治、天国を、地上で実現されるために来られ、十字架にかかられました。

 

 

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