R2.6.14 主日礼拝

「題」 「思いわずらわなくてよい」
聖書の箇所 「マタイによる福音書6章25~34節」
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
6:25 それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。
6:26 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。
6:27 あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
6:28 また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。
6:29 しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
6:30 きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。
6:31 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
6:32 これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
6:33 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
6:34 だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

1、思い煩わなくてよい
25 節「それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか」。
何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと思いわずらうことは、心を暗くし、神様を見失うことになります。そうした思いわずらいを、イエス様は止めるよう語られます。それにどれだけ思いわずらっても、わたしたちは命をわずかでも延ばすことができません。

2、神様を信頼しよう
30 節「きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか」。
栄華を極めたソロモンの時代、銀は価値のないものとされるほどでした。しかし神様はソロモンの栄華以上にわたしたちによくしてくださいます。この世の価値に支配されると、神様の恵みに気づくことができません。わたしたちを必ずよくしてくださる神様を信頼しましょう。

3、第一に神の国と神の義とを求めなさい
33 節「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」。
思いわずらいから解放され、神様を信じて恵みに満たされるために、イエス様は第一に神の国と神の義を求めなさいと言われます。御子を十字架に犠牲にされてまで、わたしたちを義とされ、神の国に導いてくださる神様の無尽蔵の愛と恵みを第一とする者となりましょう。

 

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