R1.12.15 主日礼拝

「題」 「神様はほむべきお方」
聖書の箇所 「ルカによる福音書1章67~80節」
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用)

1:67 父ザカリヤは聖霊に満たされ、預言して言った、
1:68 「主なるイスラエルの神は、ほむべきかな。
神はその民を顧みてこれをあがない、
1:69 わたしたちのために救の角を
僕ダビデの家にお立てになった。
1:70 古くから、聖なる預言者たちの口によってお語りになったように、
1:71わたしたちを敵から、またすべてわたしたちを憎む者の手から、救い出すためである。
1:72 こうして、神はわたしたちの父祖たちにあわれみをかけ、その聖なる契約、
1:73 すなわち、父祖アブラハムにお立てになった誓いをおぼえて、
1:74 わたしたちを敵の手から救い出し、
1:75 生きている限り、きよく正しく、
みまえに恐れなく仕えさせてくださるのである。
1:76 幼な子よ、あなたは、いと高き者の預言者と呼ばれるであろう。
主のみまえに先立って行き、その道を備え、
1:77 罪のゆるしによる救を
その民に知らせるのであるから。
1:78 これはわたしたちの神のあわれみ深いみこころによる。
また、そのあわれみによって、日の光が上からわたしたちに臨み、
1:79 暗黒と死の陰とに住む者を照し、
わたしたちの足を平和の道へ導くであろう」。

1:80 幼な子は成長し、その霊も強くなり、そしてイスラエルに現れる日まで、荒野にいた。

1、神様はほむべきお方
68~69 節「主なるイスラエルの神は、ほむべきかな。神はその民を顧みてこれをあがない、わたしたちのために救の角を僕ダビデの家にお立てになった」。
賛美は神様の無限の恵みに対する感謝と信頼の告白です。「顧みて」は、世話をするため訪問するという意味があります。神様は力のない者を顧みて、救いのために自ら訪れてくださるお方です。
2、神様は救いの約束を実現される
72~74 節「こうして、神はわたしたちの父祖たちにあわれみをかけ、その聖なる契約、すなわち、父祖アブラハムにお立てになった誓いをおぼえて、わたしたちを敵の手から救い出し」
ザカリヤの不信仰にもかかわらず、神様はザカリヤ夫妻の祈りを聞き入れてくださいました。神様は契約を決して破棄されません。神様はどのようなことがあっても忍耐と真実をもって、わたしたちに救いの約束を実現しようと働きを続けられるお方です。
3、光と平和の訪れ
78~79 節「これはわたしたちの神のあわれみ深いみこころによる。また、そのあわれみによって、日の光が上からわたしたちに臨み、暗黒と死の陰とに住む者を照し、わたしたちの足を平和の道へ導くであろう」。
「日の光」は日の出と訳することもできます。暗黒と死の陰の中にいる者に対して、救い主が日の出のように訪れるという預言です。「平和の道」は平和への道ではありません。平和の内を歩む道です。イエス様の訪れを受け入れる者は、希望の光と平和の内に生きる者とされます。

 

 

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