R1.11.10礼拝

「題」 「初めであり終わりであるお方」
聖書の箇所 「ヨハネの黙示録1章9~20節」
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
1:9 あなたがたの兄弟であり、共にイエスの苦難と御国と忍耐とにあずかっている、わたしヨハネは、神の言とイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。
1:10 ところが、わたしは、主の日に御霊に感じた。そして、わたしのうしろの方で、ラッパのような大きな声がするのを聞いた。
1:11 その声はこう言った、「あなたが見ていることを書きものにして、それをエペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、ヒラデルヒヤ、ラオデキヤにある七つの教会に送りなさい」。
1:12 そこでわたしは、わたしに呼びかけたその声を見ようとしてふりむいた。ふりむくと、七つの金の燭台が目についた。
1:13 それらの燭台の間に、足までたれた上着を着、胸に金の帯をしめている人の子のような者がいた。
1:14 そのかしらと髪の毛とは、雪のように白い羊毛に似て真白であり、目は燃える炎のようであった。
1:15 その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、声は大水のとどろきのようであった。
1:16 その右手に七つの星を持ち、口からは、鋭いもろ刃のつるぎがつき出ており、顔は、強く照り輝く太陽のようであった。

1:17 わたしは彼を見たとき、その足もとに倒れて死人のようになった。すると、彼は右手をわたしの上において言った、「恐れるな。わたしは初めであり、終りであり、 1:18 また、生きている者である。わたしは死んだことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者である。そして、死と黄泉とのかぎを持っている。
1:19 そこで、あなたの見たこと、現在のこと、今後起ろうとすることを、書きとめなさい。
1:20 あなたがわたしの右手に見た七つの星と、七つの金の燭台との奥義は、こうである。すなわち、七つの星は七つの教会の御使であり、七つの燭台は七つの教会である。
1、ヨハネが受けた啓示
10 節「ところが、わたしは、主の日に御霊に感じた。そして、わたしのうしろの方で、ラッパのような大きな声がするのを聞いた」。
ローマ皇帝はキリスト教弾圧のため、ヨハネをパトモス島に幽閉しました。しかしキリストの救いの希望はこの世のどんな権力も妨げることができません。キリストは幽閉中のヨハネが主の日の礼拝を献げている最中に、ご自身の救いのご計画を明らかにされました。
2、キリストの御姿
17~18 節「恐れるな。わたしは初めであり、終りであり、また、生きている者である。わたしは死んだことはあるが、見よ、代々限りなく生きている者である。そして、死と黄泉のかぎを持っている」。
キリストは「初めであり、終りであり、また生きている者である」と宣言されます。キリストご自身がそうであられるように、キリストは、信じる者に永遠のいのち、死と黄泉からも救い出されるよみがえりのいのちを与えることのできるお方です。
3、教会の使命
20 節「あなたがわたしの右手に見た七つの星と、七つの金の燭台との奥義は、こうである。すなわち、七つの星は七つの教会の御使であり、七つの燭台は七つの教会である」。
キリストは信じる者に永遠の勝利があることを、ヨハネに啓示され、ヨハネを通して代々の教会に伝えようとされます。教会はキリストのよみがえりのいのちを、困難の中にある人々の前にかかげ、伝える使命が託されています。

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