R1.10.27 主日礼拝

「題」 「イエス様は真の羊飼い」
聖書の箇所 「ヨハネによる福音書10章1~18節 」
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用)

10:1 よくよくあなたがたに言っておく。羊の囲いにはいるのに、門からでなく、ほかの所からのりこえて来る者は、盗人であり、強盗である。
10:2 門からはいる者は、羊の羊飼である。
10:3 門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞く。そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出す。
10:4 自分の羊をみな出してしまうと、彼は羊の先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、彼について行くのである。
10:5 ほかの人には、ついて行かないで逃げ去る。その人の声を知らないからである」。
10:6 イエスは彼らにこの比喩を話されたが、彼らは自分たちにお話しになっているのが何のことだか、わからなかった。
10:7 そこで、イエスはまた言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。わたしは羊の門である。
10:8 わたしよりも前にきた人は、みな盗人であり、強盗である。羊は彼らに聞き従わなかった。
10:9 わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。
10:10 盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。
10:11 わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。
10:12 羊飼ではなく、羊が自分のものでもない雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊をすてて逃げ去る。そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らす。
10:13 彼は雇人であって、羊のことを心にかけていないからである。
10:14 わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。
10:15 それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。そして、わたしは羊のために命を捨てるのである。
10:16 わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう。
10:17 父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである。
10:18 だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである」。
1、羊の名を呼ぶ羊飼い
3~4節「門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞くそして彼は自分の羊の名をよんで連れ出す。自分の羊をみな出してしまうと、彼は羊の先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、彼について行くのである」。
羊飼いは羊の名をよんで連れ出します。名を呼ぶということは、羊飼いは1匹1匹がそれぞれ違うことをご存知です。イエス様はそのように、わたしたち1人1人をご存知なので、どんな人にも最善の導きを与えてくださいます。
2、羊の門である羊飼い
9節「わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう」。
羊飼いは夜、囲いの入口に寝て羊を守りました。「羊の門」とは、そのような意味です。羊は入口である羊飼いを通って中に入っているなら、安全でした。わたしたちは、自分の行いでは救われません。イエス様を通して救いの中に入れられるのです。
3、命を捨てる羊飼い
11 節「わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる」。
羊飼いは命を犠牲にするほどに、羊を愛し、羊に責任をもちます。イエス様はわたしたちを愛してくださり、わたしたちの罪のために身代わりに責任を取られて、十字架にかかられて命を犠牲にされました。その愛によってわたしたちは救われ、天国への門が開かれるのです。

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