R1.10.13主日礼拝

「題」 「魂の渇き」
聖書の箇所 「ヨハネによる福音書7章37~39節 」
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用)

7:37 祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。
7:38 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。
7:39 これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである。すなわち、イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊がまだ下っていなかったのである。

1、かわく者
37 節「祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、『だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい』」。
肉体の渇きは案外気づきにくいものですが、それ以上に魂の渇きは気づかないものです。パリサイ人は律法を全うしているという自負から、魂が渇いていることに気づいていませんでした。しかし彼らは神の国に入る確信を得ていませんでした。あなたは、救いの確信がありますか。
2、生ける水が川となる
38 節「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。
魂の渇きに気づくことができないのは、肉の思いに捕われているからです。肉の思いは御霊に反します。そして肉の働きでは神の国を継ぐことはできません。しかしイエス様を信じて、心の内にイエス様を迎え入れるならば、いのちがあふれ出る者となります。
3、信じる者が受ける御霊
39 節「これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである。すなわち、イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊がまだ下っていなかったのである」。
イエス様はわたしたちが救われて神の子とされている確信を、御霊によって与えてくださいます。「イエスはまだ栄光を受けておられなかった」とは十字架のことです。
十字架によって、わたしたちは罪から解放され、御霊に満たされます。
イエス様を信じて、御霊に満たしていただきましょう。

 

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