R1.10.6主日礼拝

「題」 「神様のあわれみ」
聖書の箇所 「ヨハネによる福音書5章1~9節 」
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用)

5:1 こののち、ユダヤ人の祭があったので、イエスはエルサレムに上られた。
5:2 エルサレムにある羊の門のそばに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があった。そこには五つの廊があった。
5:3 その廊の中には、病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者などが、大ぜいからだを横たえていた。〔彼らは水の動くのを待っていたのである。
5:4 それは、時々、主の御使がこの池に降りてきて水を動かすことがあるが、水が動いた時まっ先にはいる者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。〕 5:5 さて、そこに三十八年のあいだ、病気に悩んでいる人があった。
5:6 イエスはその人が横になっているのを見、また長い間わずらっていたのを知って、その人に「なおりたいのか」と言われた。
5:7 この病人はイエスに答えた、「主よ、水が動く時に、わたしを池の中に入れてくれる人がいません。わたしがはいりかけると、ほかの人が先に降りて行くのです」。
5:8 イエスは彼に言われた、「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」。
5:9 すると、この人はすぐにいやされ、床をとりあげて歩いて行った。
1、神様のあわれみ
6節「イエスはその人が横になっているのを見、また長い間わずらっていたのを知って、その人に『なおりたいのか』と言われた」。
「わずらっていたのを知って」とは、体験的に知るという意味です。病が人から様々な力を奪うことをイエス様は実感として知っておられました。ですから、「なおりたいのか」という言葉は、病人を失望から立ち上がらせようとする、あわれみに満ちた言葉です。
2、病人が抱えている問題
7節「この病人はイエスに答えた、『主よ、水が動く時に、わたしを池の中に入れてくれる人がいません。わたしがはいりかけると、ほかの人が先に降りて行くのです』」。
この人は池まで連れて来てくれる人はいましたが、池の中に入れてくれる人はいませんでした。この人は孤独による失望の中にいました。また38 年という長い期間、苦しみの中にあったことから、希望をもつことが容易にできない状況にありました。
3、あわれみによる命の力
8~9節「イエスは彼に言われた、『起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい』。すると、この人はすぐにいやされ、床をとりあげて歩いて行った」。
イエス様は「父が死人を起して命をお与えになるように、子もまた、そのこころにかなう人々に命を与えるであろう」(21 節)と言われます。失望の中にいた病人を、イエス様はみこころにかなう人として愛され、立ち上がる力を与えられました。あなたもその命を得ることができます。

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