R1.9.8主日礼拝

「題」 「罪を取り除く神の小羊
聖書の箇所 「ヨハネによる福音書1章29~37 節 」
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用)

1:29 その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
1:30 『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この人のことである。
1:31 わたしはこのかたを知らなかった。しかし、このかたがイスラエルに現れてくださるそのことのために、わたしはきて、水でバプテスマを授けているのである」。
1:32 ヨハネはまたあかしをして言った、「わたしは、御霊がはとのように天から下って、彼の上にとどまるのを見た。
1:33 わたしはこの人を知らなかった。しかし、水でバプテスマを授けるようにと、わたしをおつかわしになったそのかたが、わたしに言われた、『ある人の上に、御霊が下ってとどまるのを見たら、その人こそは、御霊によってバプテスマを授けるかたである』。
1:34 わたしはそれを見たので、このかたこそ神の子であると、あかしをしたのである」。
1:35 その翌日、ヨハネはまたふたりの弟子たちと一緒に立っていたが、
1:36 イエスが歩いておられるのに目をとめて言った、「見よ、神の小羊」。
1:37 そのふたりの弟子は、ヨハネがそう言うのを聞いて、イエスについて行った。
1、イエス様に目を注ぐ
29節「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」。
36節「見よ、神の小羊」。
バプテスマのヨハネは群衆に「見よ」とイエス様に目を注ぐように、イエス様を常の目の前に置いて生きるようにと促します。罪は神様が存在されない状態のことです。イエス様を見失うと、わたしたちは罪に捕われてしまいます。
2、イエス様を証しする
29~30節「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この人のことである」。
罪を取り除くことができるお方はイエス様だけです。ですからバプテスマのヨハネは、自分のもとに来る人々をイエス様のもとに導こうとしました。教会の働き、わたしたちの証しも、人々をイエス様のもとに導くものとして献げられるべきです。
3、神の小羊
29節「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」。
33節「ある人の上に、御霊が下ってとどまるのを見たら、その人こそは、御霊によってバプテスマを授けるかたである」。
イエス様は罪を取り除かれるため、神の小羊となられ、血を流してくださいました。この十字架の犠牲の血によって、わたしたちの罪はきよめられます。わたしたちが絶えずイエス様を仰ぎ、十字架の血によるきよめを聖霊によって受け続けるなら、神様のきよさが保たれるのです。

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