R1.8.11オープン・チャーチ

「題」 「神様の言葉を信じる」
聖書の箇所 「列王紀下5章8~14節 」
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
5:8 神の人エリシャは、イスラエルの王がその衣を裂いたことを聞き、王に人をつかわして言った、「どうしてあなたは衣を裂いたのですか。彼をわたしのもとにこさせなさい。そうすれば彼はイスラエルに預言者のあることを知るようになるでしょう」。
5:9 そこでナアマンは馬と車とを従えてきて、エリシャの家の入口に立った。
5:10 するとエリシャは彼に使者をつかわして言った、「あなたはヨルダンへ行って七たび身を洗いなさい。そうすれば、あなたの肉はもとにかえって清くなるでしょう」。
5:11 しかしナアマンは怒って去り、そして言った、「わたしは、彼がきっとわたしのもとに出てきて立ち、その神、主の名を呼んで、その箇所の上に手を動かして、らい病をいやすのだろうと思った。
5:12 ダマスコの川アバナとパルパルはイスラエルのすべての川水にまさるではないか。わたしはこれらの川に身を洗って清まることができないのであろうか」。こうして彼は身をめぐらし、怒って去った。
5:13 その時、しもべたちは彼に近よって言った、「わが父よ、預言者があなたに、何か大きな事をせよと命じても、あなたはそれをなさらなかったでしょうか。まして彼はあなたに『身を洗って清くなれ』と言うだけではありませんか」。
5:14 そこでナアマンは下って行って、神の人の言葉のように七たびヨルダンに身を浸すと、その肉がもとにかえって幼な子の肉のようになり、清くなった。

1、神様は御自分を知らせるお方
8節「どうしてあなたは衣を裂いたのですか。彼をわたしのもとにこさせなさい。そうすれば彼はイスラエルに預言者のあることを知ることになるでしょう」。
努力がいつも正しい方に向いているとは限りません。頑張っても報われないこともあります。そのような迷える者を顧みて、神様はご自身の側からわたしたちに語りかけ、救いの道を示してくださいます。
2、信じることができない理由
12 節「ダマスコの川アバナとバルパルはイスラエルのすべての川水にまさるではないか。わたしはこれらの川に身を洗って清まることができないのであろうか」。
自分自身のことが心の中心にあると、神様の言葉を信じることができません。ナアマンは救いを求め、多くの努力をしたことでしょう。ですからエリシャの言葉に対して「そんな程度で救われるはずがない」と思ってしまい、神様の言葉の力を信じることができませんでした。
3、神様の言葉の力を信じる
14 節「そこでナアマンは下って行って、神の人の言葉のように七たびヨルダンに身を浸すと、その肉がもとにかえって幼な子の肉のようになり、清くなった」。
しもべたちの進言によって、ナアマンは心を翻して預言者エリシャの言葉の通りに実行しました。するとナアマンは清くなりました。神様の言葉には、わたしたちを清くする力があります。神様の救いの力を受け取るには、信仰によるしかありません。

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