H31.4.28オープン・チャーチ

「題」 「復活に目が開かれる」
聖書の箇所 「ルカによる福音書24章25~32節 」
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
24:25 そこでイエスが言われた、「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ。
24:26 キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか」。
24:27 こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。
24:28 それから、彼らは行こうとしていた村に近づいたが、イエスがなお先へ進み行かれる様子であった。
24:29 そこで、しいて引き止めて言った、「わたしたちと一緒にお泊まり下さい。もう夕暮になっており、日もはや傾いています」。イエスは、彼らと共に泊まるために、家にはいられた。
24:30 一緒に食卓につかれたとき、パンを取り、祝福してさき、彼らに渡しておられるうちに、
24:31 彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった。すると、み姿が見えなくなった。
24:32 彼らは互に言った、「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか」。

1、心のにぶい者
25~26 節「そこでイエスが言われた、『ああ、愚かで心のにぶいため、
預言者たちが解いたすべての事を信じられない者たちよ、キリストは必
ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか」。
イエス様は目には見えませんが、いつもわたしたちのすぐそばにおら
れて、わたしたちを助けてくださいます。しかしわたしたちの心がにぶ
いため、イエス様の存在を認めることができません。

2、生活の場に現れるイエス様
29~31 節「イエスは、彼らと共に泊まるために、家にはいられた、一
緒に食卓につかれたとき、パンを取り、祝福してさき、彼らに渡してお
られるうちに、彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった」。
イエス様は特別な場所にではなく、わたしたちの普段の生活の場に、
共におられます。日常の中で、いつでもわたしたちはイエス様とお会い
し、祝福を受けることができます。

3、聖書の御言葉によって目が開かれる
32 節「彼らは互に言った、『道々お話しになったとき、また聖書を説
き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか」。
イエス様がいつも共におられること、わたしたちが普段の生活の場で
イエス様から祝福を受けることができることは、聖書の御言葉によって
明らかにされます。わたしたちの努力や修練によって、イエス様のこと
がわかるのではありません。御言葉を通して働かれる聖霊の力が、わた
したちの目を開かせ、イエス様の祝福がわかるようになるのです。

 

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