H31.1.27主日礼拝

「題」 「主はわたしの牧者」
聖書の箇所 「詩篇23篇1~6節 」
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
ダビデの歌
23:1 主はわたしの牧者であって、
わたしには乏しいことがない。
23:2 主はわたしを緑の牧場に伏させ、
いこいのみぎわに伴われる。
23:3 主はわたしの魂をいきかえらせ、
み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
23:4 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、
わざわいを恐れません。
あなたがわたしと共におられるからです。
あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
23:5 あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、
わたしのこうべに油をそそがれる。
わたしの杯はあふれます。
23:6 わたしの生きているかぎりは
必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。
わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。

1、主なる神様
 1節「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない」。
「主」と訳されているヘブル語ヤハウェは、主人以上の意味がありま す。主は何にも依存せずに存在され、永遠に変わることのないお方です。 ですから、主はどんな困難があっても妨げられることがなく、わたした ちを救い、満たすことがおできになるのです。さらに主は生命の源です から、このお方の臨在がわたしたちの救いであり、満たしです。

2、主はわたしの牧者
 1節「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない」。
主は、「わたしの牧者」です。主はわたしたちから遠く離れて存在されるお方ではありません。羊飼いが羊から決して目を離さず、命を賭けて 羊を守るように、主は、常にわたしと共におられ、わたしを守るために 命をも犠牲にしてくださいます。 何にも縛られることなく存在されているお方が、わたしのために共に いてくださる恵みが、わたしたちを満たすのです。

3、羊であるわたし
 1節「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない」。
主がわたしの牧者であるということは、わたしたちは羊であるという ことです。人は何でもできる力をもっているように思われますが、実際 は間違いが多く、不確かで、多くのことに依存せざるを得ない、弱い存 在です。自分が羊のような頼りなく、主が共におられなければどうにも ならない存在であることを認め、牧者である主の御言葉をしっかり聞き、 従う者となるなら、満たされた生涯を歩むことができます。

 

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