H30.10.14主日礼拝

「題」 「神様に対して富まない者
聖書の箇所 「ルカによる福音書12章13~21節
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
12:13 群衆の中のひとりがイエスに言った、「先生、わたしの兄弟に、遺産を分けてくれるようにおっしゃってください」。
12:14 彼に言われた、「人よ、だれがわたしをあなたがたの裁判人または分配人に立てたのか」。
12:15 それから人々にむかって言われた、「あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。たといたくさんの物を持っていても、人のいのちは、持ち物にはよらないのである」。
12:16 そこで一つの譬を語られた、「ある金持の畑が豊作であった。
12:17 そこで彼は心の中で、『どうしようか、わたしの作物をしまっておく所がないのだが』と思いめぐらして
12:18 言った、『こうしよう。わたしの倉を取りこわし、もっと大きいのを建てて、そこに穀物や食糧を全部しまい込もう。
12:19 そして自分の魂に言おう。たましいよ、おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ』。
12:20 すると神が彼に言われた、『愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか』。
12:21 自分のために宝を積んで神に対して富まない者は、これと同じである」。

1、人のいのちは持ち物にはよらない
15節「あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。人のいのちは、持ち物にはよらないのである」。
「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」ことを忘れてはいけません。しかし、わたしたちは日常において、持ち物と御言葉の、どちらをより大切にしているでしょうか。どちらによっていのちを豊かにしようとしているでしょうか。

2、自己中心の愚かさ
17~18節「そこで彼は心の中で、『どうしようか、わたしの作物をしまっておく所がないのだが』と思いめぐらして言った、『こうしよう。わたしの倉を建てて、そこに穀物や食糧を全部しまい込もう』」。
原語では、「『わたしは』どうしようか、わたしの作物をしまっておく所が『わたしには』ないのだが」と、『わたし』が連続します。自分のことで思いが満たされ、解決も自分です。このような人は地上では豊かになったとしても、魂は乏しく、結局すべてを失う愚かな者となります。

3、神様に対して富む者
21節「自分のために宝を積んで神に対して富まない者は、これと同じである」。
では、どうすれば神様に対して富む者となるのでしょうか。十字架の救いによって自分自身から解放されて、神様を信じ委ねる生き方に変えられるべきです。聖霊によって、神様に明け渡す生き方に目が開かれることを求めるべきです。わたしたちを豊かないのちに導かれるイエス様を常に求める者とならせていただきましょう。

 

 

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