H30.5.6主日礼拝

「題」 「キリストが来られた理由
聖書の箇所 「ルカによる福音書5章27~32節
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用
5:27 そののち、イエスが出て行かれると、レビという名の取税人が収税所にすわっているのを見て、「わたしに従ってきなさい」と言われた。
5:28 すると、彼はいっさいを捨てて立ちあがり、イエスに従ってきた。
5:29 それから、レビは自分の家で、イエスのために盛大な宴会を催したが、取税人やそのほか大ぜいの人々が、共に食卓に着いていた。
5:30 ところが、パリサイ人やその律法学者たちが、イエスの弟子たちに対してつぶやいて言った、「どうしてあなたがたは、取税人や罪人などと飲食を共にするのか」。
5:31 イエスは答えて言われた、「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。
5:32 わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」。

1、キリストの愛の力
 27節「そののち、イエスが出て行かれると、レビという名の取税人が収税所にすわっているのを見て、『わたしに従ってきなさい』と言われた」。
取税人をじっと見つめる人など、まずいなかったでしょう。しかも、「わたしに従ってきなさい」と呼びかけられたのです。
人々から嫌われていたであろうレビは、イエス様に必要とされた喜びによって、いっさいを捨てて立ちあがりました。

2、キリストを受け入れる人
 31節「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である」。
健康な人が病院に行かないように、自分は正しいと思い、救いを必要としない人は、キリストを必要とせず受け入れません。
弱い者、無力な者こそ、キリストの愛に気づくことができ、キリスト必要とし、救いを信じて受け入れることができるのです。

3、キリストが招かれる人
 32節「わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」。
悔い改めは、自分中心の生活を改め、キリスト中心の人生に変えられることです。
キリストは神様から失われて、この世のものとなり、肉の欲に従って歩む者を救い出して、その人生を全く変えるために来られました。キリストの愛に心開かれて、愛に生きる生涯へと変えられる招きを受け入れ、この祝福を伝える者となりましょう。

 

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