「題」 「キリストの契約の血」
聖書の箇所 「マタイによる福音書26章36~39節」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用。
26:36 それから、イエスは彼らと一緒に、ゲツセマネという所へ行かれた。そして弟子たちに言われた、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここにすわっていなさい」。
26:37 そしてペテロとゼベダイの子ふたりとを連れて行かれたが、悲しみを催しまた悩みはじめられた。
26:38 そのとき、彼らに言われた、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一緒に目をさましていなさい」。
26:39 そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。
26:37 そしてペテロとゼベダイの子ふたりとを連れて行かれたが、悲しみを催しまた悩みはじめられた。
26:38 そのとき、彼らに言われた、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一緒に目をさましていなさい」。
26:39 そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。
1、罪の苦しみを負う祈り
37節「そしてペテロとゼベダイの子ふたりとを連れて行かれたが、悲しみを催しまた悩みはじめられた」。
イエス様の悲しみ、悩みは、わたしたちの罪の苦しみを負われるためです。イエス様の十字架は、本来わたしたちが負うべき罪の苦しみを、身代わりに負うためのものです。
罪の苦しみは、イエス様でさえ悲しみ悩まれるほどのものです。それでもわたしたちを愛するがゆえに、罪の苦しみを負われたのです。
2、罪から目を覚まさせる祈り
38節「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一緒に目をさましていなさい」。
イエス様は罪の苦しみに立ち向かわれるために祈られました。そして弟子たちに「一緒に目をさましていなさい」と語られます。
罪はわたしたちの目を曇らせ、神様の救いを見失わせます。しかしイエス様はわたしたちの目を開き、十字架の救いを示してくださいます。
3、神様の愛を求める祈り
39節「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。
イエス様は「みこころのままに」と祈られました。そして神様のみこころは、イエス様から罪の刑罰を過ぎ去らせることよりも、わたしたちから罪の刑罰を過ぎ去らせることを選ばれました。なんと深く大きな神様の愛でしょうか。この愛によってわたしたちは救われるのです。