H30.2.4主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「天国に入る人
聖書の箇所 「マタイによる福音書18章1~5節」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
18:1 そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。
18:2 すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、
18:3 「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。
18:4 この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。
18:5 また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。

1、だれが偉いのか
 1節「そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、『いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか』」。
弟子たちは何度かイエス様に「だれがいちばん偉いのか」と尋ねています。神様はわたしたちに優劣をつけられません。教会でも「だれがいちばんか」という考えがあってはいけません。しかし、そのように考えてしまうことのある、わたしたちの愚かさに気づくべきです。

2、幼な子のように
 3節「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう」。
「だれがいちばん」と人の上に立ちたがる弟子たちに、イエス様は「幼な子のように」と、へりくだるべきことを教えてくださいます。
幼な子のようにへりくだるには、自分が主であることを捨てて、イエス様を主と受けいれるよう、心をいれかえることが必要です。

3、幼な子を受け入れる心
 5節「また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受けいれるのである」。
「幼な子のようになる」ことは、天国にはいる条件ではありません。キリストの心を心とすることです。つまり、「幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者」となることです。
何かができるからと受けいれるのではなく、弱い者、小さな者をイエス様の名のゆえに受けいれる愛の心の持ち主が、天国にはいるのです。

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