H29.7.9主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「聖なる神様」
聖書の箇所 「イザヤ書6章1~7節」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)

6:1 ウジヤ王の死んだ年、わたしは主が高くあげられたみくらに座し、その衣のすそが神殿に満ちているのを見た。
6:2 その上にセラピムが立ち、おのおの六つの翼をもっていた。その二つをもって顔をおおい、二つをもって足をおおい、二つをもって飛びかけり、
6:3 互に呼びかわして言った。

「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ」。

6:4 その呼ばわっている者の声によって敷居の基が震い動き、神殿の中に煙が満ちた。
6:5 その時わたしは言った、「わざわいなるかな、わたしは滅びるばかりだ。わたしは汚れたくちびるの者で、汚れたくちびるの民の中に住む者であるのに、わたしの目が万軍の主なる王を見たのだから」。

6:6 この時セラピムのひとりが火ばしをもって、祭壇の上から取った燃えている炭を手に携え、わたしのところに飛んできて、
6:7 わたしの口に触れて言った、「見よ、これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの悪は除かれ、あなたの罪はゆるされた」。

1、聖なる神様
3節「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ」。
「聖」は「分けられている」「隔絶されている」という意味で、神様が世から超越しておられるお方であることを現しています。また栄光とは直訳すると「重い」です。ですから「栄光は全地に満つ」とは、重々しい存在感に押しつぶされそうな状態と考えられます。

 2、イザヤの姿
5節「わざわいなるかな、わたしは滅びるばかりだ。わたしは汚れたくちびるの者で、汚れたくちびるの民の中に住む者であるのに、わたしの目が万軍の主なる王を見たのだから」。
聖なる神様の圧倒的な御姿を見たイザヤは、自分がどんなに愚かな、罪深い存在であるかと気づかされました。「わたしは滅びるばかりだ」とは、「わたしはすでに滅んでしまった」という意味です。イザヤは死を自覚したのです。

3、罪をきよめられる神様
7節「見よ、これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの悪は除かれ、あなたの罪はゆるされた」。
罪を認めたイザヤに、神様は触れてくださいます。聖であり、決して罪と交わることのないはずのお方が、罪人のイザヤに触れてくださったのです。こうしてイザヤは神様の愛と恵みに生きる者となりました。
わたしたちも聖なる神様に触れられて罪をきよめていただき、神様の愛と恵みに生きる者とされましょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください