H29.4.30主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「罪の起源」
聖書の箇所 「創世記3章1~7節」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
3:1 さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」。
3:2 女はへびに言った、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、
3:3 ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」。
3:4 へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。
3:5 それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。
3:6 女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。
3:7 すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。

アダムとエバはどうして神様の御言葉にとどまることができず、罪に陥ってしまったのでしょうか。

1、御言葉は自由を得させる
1節「へびは女に言った、『園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか』」。
 主の御言葉は、わたしたちを守り、自由と生命を得させます。しかしへびはその事実を湾曲し、神様の御言葉が守りと祝福のためではなく、不自由をもたらすものであるかのように語りました。それを聞いたエバに迷いの心が生じてしまいます。

2、御言葉から引き離すもの
4~5節「へびは女に言った、『あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです』」。
へびは続けて、神様の愛と恵みを隠します。「神のように…」それは人の行いによるのではなく、神様の愛と恵みによってなされます。愛と恵みが失われると、御言葉は御言葉でなくなってしまうのです。

3、御言葉から離れた人の姿
7節「すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた」。
御言葉から離れた人は、愚かにもいちじくの葉で自分を隠そうとしました。しかしそれでは自分を守り切れず、しかも相手をさばいてしまいます。
神様の御言葉から離れるなら、愛と恵みを失い、さばきと争いの中に歩み、滅びに陥ってしまいます。人は愛と恵みに満ちた神様の御言葉なしには生きることができないのです。

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