H29.3.26主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「キリストにある平安」
聖書の箇所 「ヨハネ14:27~31」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
14:27 わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。
14:28 『わたしは去って行くが、またあなたがたのところに帰って来る』と、わたしが言ったのを、あなたがたは聞いている。もしわたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるであろう。父がわたしより大きいかたであるからである。
14:29 今わたしは、そのことが起らない先にあなたがたに語った。それは、事が起った時にあなたがたが信じるためである。
14:30 わたしはもはや、あなたがたに、多くを語るまい。この世の君が来るからである。だが、彼はわたしに対して、なんの力もない。
14:31 しかし、わたしが父を愛していることを世が知るように、わたしは父がお命じになったとおりのことを行うのである。立て。さあ、ここから出かけて行こう。

「主イエスは、ご自身が世を去るに当たって弟子たちに何も残して行かれなかった。ただ、ご自身が持っておられたその平安を他にしては・・・。」主イエスは、弟子たちに「わたしの平安を残していく」と言われました。主イエスのご生涯を支えた平安は、主の弟子たちに、そして、わたしたちにも一番必要なものです。「平安」(エイレーネ)は、ヘブル語のシャロームで、神が与えられる祝福のすべてを意味する深く豊かな内容です。主は「わたしの平安」と言われ、主ご自身が持っておられた同質の平安で、これは、世が与えるようなものとは違うことが強調されています。 この平安をしっかり確保しましょう。

1、神との平和 ローマ5:1
「このように、私たちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。」 この平安は、イエス・キリストの罪の赦しと神からの義を受け取る中で与えられる神との平和から来る平安です。<神との和解>(2コリント5:18~21)の中で受けるものです。これが、全ての平安の土台です。

2、平安を奪うもの
受けた平安を脅かすものに対して、注意と警戒が必要です。
①疑い、不信
心がアンバランスな私たちです。だから、常に信仰に立つ必要があります。
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。」(へブル11:6) あいまい、不信のまま生きてはなりません。トマスのように、見ないと決して信じないとこだわるのでなく、「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」 (ヨハネ20:27)とのやさしい御声に聴きましょう。
②失望、落胆 これはサタンの誘惑の最大の武器で、これに支配されることがないように。
③思い煩い 思いわずらいを祈りに変え、ことごとに神に申しあげ、神に信頼しましょう。(ピリピ4:6)その結果、人知で測り知ることができない神の平安が心と思いを守ります。

3、神と共に生きる(神との交わり)
どんなことがあっても、主イエスとの親しい関係を損なわれてはいけません。細心の注意を払いこの平安を奪われないよう守っていくのです。
「わたし自身が一緒にいくであろう。そして、あなたに安息を与えるであろう。」 (出エト33:14)

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