H29.1.22主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「主はわたしの牧者」
聖書の箇所 「詩篇23:1~6」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
23:1 主はわたしの牧者であって、
わたしには乏しいことがない。
23:2 主はわたしを緑の牧場に伏させ、
いこいのみぎわに伴われる。
23:3 主はわたしの魂をいきかえらせ、
み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
23:4 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、
わざわいを恐れません。
あなたがわたしと共におられるからです。
あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
23:5 あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、
わたしのこうべに油をそそがれる。
わたしの杯はあふれます。
23:6 わたしの生きているかぎりは
必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。
わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。

詩篇23篇は、多くの人に愛され、あらゆる人生経験の中で読まれてきました。

1、主への信頼
 「主は私の牧者であって、わたしには、乏しいことがない。」(1)
パレスチナの地はほとんど荒野であり、牧草と水は経験豊かな牧者によって見出されます。羊飼いは、羊を水場に導き、牧草を与え、危険から守ります。いわば羊のすべては牧者の手の中にあるのです。こうした厳しい自然の中で養われる羊になぞらえ、人生の荒野における牧者としての主が仰がれ、その信頼が告白されているのです。

2、「義の道」(3)
牧者なる主に信頼し、羊は豊かな養いを受け、乏しいことがないと歌われますが、それは、主に信頼すればすべて都合よくいくことではありません。荒野の中に草地があり、水場があります。羊飼いがそこに羊を導いて行く時、途中、猛獣に出会ったり、「死の陰の谷」のような暗く深い谷を通り抜けて行くことがあります。しかし、それは通り抜けるための道であり、牧者である主は羊を導いて慰め力づけ、必ず羊を守り抜いてくださいます。「義の道」とは、「正しい誤りの無い道」、「救いの道」、「勝利の道」です。それは、神に最も近い神との最短距離の道(主のご臨在の道)に羊を置かれるということです。「死の陰の谷」「敵の前」も、平地では体験することが出来ない臨在の恵みの深さ強さをそこで味わうのです。私たちが岐路に立った時、「義の道」すなわち、主に導かれる道、主が臨在される道を選ぶことが大切です。

3、「主をわが牧者とする」歩み(6)
このように主に信頼していくなら、もはや私たちが祝福を追い求める必要はなく「恵みと慈しみ」が向うから、いつも、わたしを追うのです。その人生の最後は、「とこしえに主の宮に住む」と、帰るべきところが主によって用意されています。主は、最後のゴールで私たちを待っていて、頑張れと言っておられるのでなく、今日、この日から、私の良い牧者となって私と共に歩み、人生のあらゆる場面で私を守り導き、最後には、私たちを御国の栄光のゴールまで伴い導いてくださるのです。

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