H28.12.25主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「神のプレゼント」
聖書の箇所 「ヨハネ3:16~21」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
3:16 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
3:17 神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。
3:18 彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。
3:19 そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。
3:20 悪を行っている者はみな光を憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない。
3:21 しかし、真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである。

この聖句は「小型の福音書」(M.ルター)と言われ、聖書の全体のエッセンスがこの一句にちりばめられています。この聖句を暗誦し、日々自分に語り聞かせ、神の愛に生きるのです。

1、神が愛してくださった
私たちが「信じる」(12)ということに先だち、「神が愛して下さった」ということがヨハネの強調する福音です。「私たちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛してくださって、わたしたちの罪のためにあがないの備え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。」(1ヨハネ4:10) この愛は、私たちの感情や感傷ではなく、「愛してくださった」と過去形で書かれ、過去のある一定の時点で一つの行為となって表現された愛のことを言い、御子を「賜った」(十字架上に命を与えた)という決定的で確かな“出来事”として表されました。

2、神の愛の対象
「この世を愛してくださった」と、それは大きな対象です。神が愛してくださった「この世」とは、選民ユダヤ人に限らずすべての異邦人も含め、世のすべての民が差別なく神の愛の対象なのです。さらに、聖書が「この世」という時、それは移ろいやすい現世を意味し、罪と悲惨の中にあって、神様のさばきのために滅び去っていくという世界です。しかし、本来、神の怒りをもってさばかれ滅び去るこの世界「この世」を、神はひとり子を与えてしまうほどの愛をもって愛してくださったのです。(1テモテ1:15)

3、神の愛の目的
このような神の愛は、何を目的としているのか。「それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」ということです。「滅びないで」と言われるとき、私たちは、この神の愛がなければ滅びるところだったということを知らされます。「滅びる」とは、元来、「我とわが身を見失う」という意味です。神がキリストを賜った目的は、自分を見失い、また見失われつつある私たちが、「永遠の命を得るため」です。「永遠の命」とは長続きという意味でなく、イエス・キリストにある救われた状態を意味します。従って、「永遠の命を得る」のは、死んでから受けるというよりも、私たちが「御子を信じる」なら、今、現在から、「キリスト・イエスにあるいのち」を持って生きる者とされ、キリストにある『永遠の命』に生きているのです。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.