H28.10.2主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「命なるキリスト」
聖書の箇所 「ヨハネ11:17~27」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
11:17 さて、イエスが行ってごらんになると、ラザロはすでに四日間も墓の中に置かれていた。
11:18 ベタニヤはエルサレムに近く、二十五丁ばかり離れたところにあった。
11:19 大ぜいのユダヤ人が、その兄弟のことで、マルタとマリヤとを慰めようとしてきていた。
11:20 マルタはイエスがこられたと聞いて、出迎えに行ったが、マリヤは家ですわっていた。
11:21 マルタはイエスに言った、「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう。
11:22 しかし、あなたがどんなことをお願いになっても、神はかなえて下さることを、わたしは今でも存じています」。
11:23 イエスはマルタに言われた、「あなたの兄弟はよみがえるであろう」。
11:24 マルタは言った、「終りの日のよみがえりの時よみがえることは、存じています」。
11:25 イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。
11:26 また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。
11:27 マルタはイエスに言った、「主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております」。

数多くの主の奇蹟中、最も大きな奇蹟、それは死人の甦りです。聖書は、キリストを信じる者がやがて死人の中から甦ると言っています。それは、この世の終わりに起こります。主の再臨の時、キリストを信じて死んだ者が墓からよみがえり、栄光の体を受け復活するのです。ラザロのよみがえりは、この終わりの日に起こる出来事のしるし、さきがけ、生きた例として行われたのです。

1、主と主が愛された家族の麗しい物語
しかし、その家庭に不幸が来ます。弟ラザロが瀕死の病気になりました。直ぐ、主に知らされました。
「あなたの愛しておられる者が病気です」
姉妹たちは、主が必ず駆けつけ、ラザロを癒して下さると疑いませんでした。しかし、主は、なお2日も留まられ、
「この病気は死で終わるものではなく、神の栄光のためのものです。」(4)
と言われました。それは、神の栄光が現され、多くの人が見て信じ、弟子たちの信仰のためでした。主の答えは、即時、願いどおりとは限らず、時にかなって御業をなされます。主に信頼して答えを待ち、期待して歩む信仰者でありたいと願います。

2、よみがえりの命
主が村に着かれた時、ラザロは死んで墓に葬られ4日を経過していました。そんな時、主は来られたのです。マルタは、思わず
「主よ、もし、ここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう」(24)
と言われました。深い嘆息です。信頼、期待していたからこそ、それが裏切られてしまうとき「深い嘆息」となります。この嘆息に対し、主は「あなたの兄弟はよみがえります」(23)と答えられました。マルタは、終わりの日の復活信仰を持っていました。しかし、主は、さらに驚くべきことを語られます。
「わたしは、よみがえりです。命です。わたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか。」(25,26)
イエスを信じる者には、即、復活のいのち、永遠のいのちが与えられるのです。また、信じている者は、すでにいのちを持っているのです。 「信じる者には、永遠のいのちがある」

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