H28.9.25主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「羊飼いキリスト」
聖書の箇所 「ヨハネ10:1~15」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
10:1 よくよくあなたがたに言っておく。羊の囲いにはいるのに、門からでなく、ほかの所からのりこえて来る者は、盗人であり、強盗である。
10:2 門からはいる者は、羊の羊飼である。
10:3 門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞く。そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出す。
10:4 自分の羊をみな出してしまうと、彼は羊の先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、彼について行くのである。
10:5 ほかの人には、ついて行かないで逃げ去る。その人の声を知らないからである」。 10:6 イエスは彼らにこの比喩を話されたが、彼らは自分たちにお話しになっているのが何のことだか、わからなかった。

10:7 そこで、イエスはまた言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。わたしは羊の門である。
10:8 わたしよりも前にきた人は、みな盗人であり、強盗である。羊は彼らに聞き従わなかった。
10:9 わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。
10:10 盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。
10:11 わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。
10:12 羊飼ではなく、羊が自分のものでもない雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊をすてて逃げ去る。そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らす。
10:13 彼は雇人であって、羊のことを心にかけていないからである。
10:14 わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。
10:15 それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。そして、わたしは羊のために命を捨てるのである。

「わたしは命のパンである」(ヨハネ6章)と言われた主は、また、「わたしはよい羊飼いである」と言われました。羊は、古代から<家畜>として飼われています。戦う角や歯を持たず、逃げ足も遅く、目もあまり見えず、人の世話を受け飼われて生きる動物です。主は、人間を<失われた者>と語り、迷いでた羊の話をされました。(ルカ15章)迷った羊は、自分で帰ることも、どうすることもできず、ただ滅びを待つだけです。しかし、よい羊飼いは迷った羊を捜し、見いだし、助け抱えあげて連れ帰りました。よい羊飼いとは どのような羊飼いなのでしょう。

1、よい羊飼いは、羊のことを良く知っている。 3~15
自分の羊を知り、羊に知られていることが、良い羊飼いの証です。羊は自分の羊の特徴や性格をよく知り、その名で呼びます。
「わたしは、あなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ」 イザヤ43:1
神は、ご自分の所有の民を名前で呼ばれます。

2、良い羊飼いは、羊のために命を捨てる 11,15
「盗人」(不誠実な牧者)は、羊や羊の群れのためにではなく、自分の利益のために行動します。「雇い人の羊飼い」は、羊に対する愛を持っていないので、危険が迫ると羊を捨て置いて自分を守るために逃げ去ります。しかし、「よい羊飼い」(キリスト)は、群れの羊を盗人や強盗から守り、野獣から助け、彼らに命を与えるために自分のいのちをお捨てになるのです。
「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。」(1ヨハネ3:16)

3、よい羊飼いは、羊に命を得させ、豊かに得させる 9~10
 「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。」(10) よい羊飼いは、群れの羊が最低限の必要のみを与えられ、なんとか生きながらえているだけでは満足しません。主の望みは、神の民が永遠のいのちを受け、その人生を最大限の豊かさで生きることなのです。

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