H28.6.25主日礼拝(洗礼式)

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「天からの光に照らされて」
聖書の箇所 使徒 9:1~19」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
9:1 さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、
9:2 ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、エルサレムにひっぱって来るためであった。
9:3 ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。
9:4 彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。
9:5 そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
9:6 さあ立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう」。
9:7 サウロの同行者たちは物も言えずに立っていて、声だけは聞えたが、だれも見えなかった。
9:8 サウロは地から起き上がって目を開いてみたが、何も見えなかった。そこで人々は、彼の手を引いてダマスコへ連れて行った。
9:9 彼は三日間、目が見えず、また食べることも飲むこともしなかった。
9:10 さて、ダマスコにアナニヤというひとりの弟子がいた。この人に主が幻の中に現れて、「アナニヤよ」とお呼びになった。彼は「主よ、わたしでございます」と答えた。
9:11 そこで主が彼に言われた、「立って、『真すぐ』という名の路地に行き、ユダの家でサウロというタルソ人を尋ねなさい。彼はいま祈っている。
9:12 彼はアナニヤという人がはいってきて、手を自分の上において再び見えるようにしてくれるのを、幻で見たのである」。
9:13 アナニヤは答えた、「主よ、あの人がエルサレムで、どんなにひどい事をあなたの聖徒たちにしたかについては、多くの人たちから聞いています。
9:14 そして彼はここでも、御名をとなえる者たちをみな捕縛する権を、祭司長たちから得てきているのです」。
9:15 しかし、主は仰せになった、「さあ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である。
9:16 わたしの名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう」。
9:17 そこでアナニヤは、出かけて行ってその家にはいり、手をサウロの上において言った、「兄弟サウロよ、あなたが来る途中で現れた主イエスは、あなたが再び見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、わたしをここにおつかわしになったのです」。
9:18 するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。そこで彼は立ってバプテスマを受け、
9:19 また食事をとって元気を取りもどした。

使徒行伝は、ステパノの殉教の時、「サウロという若者」(7:58)に触れていました。
その人物の回心物語が今日の箇所です。彼は、「サウロ」(ユダヤ名)の他に、ギリシャ語名「パウロ」を持ち、以後、「パウロ」の名が用いられます。(13:9)キリスト教は「イエス・キリストという土台の上に、パウロが建築家として建てあげた家」(カイパー)と言われます。キリスト教迫害者であったサウロの回心は、この後のキリスト教の歴史に最も大きな影響を与えた事件です。聖書は、この事件を8回記録します。(使徒9章、22章、26章、1コリ9:1、15:8~、2コリ11:32、33、ガラ1:12~17、ピリピ3・4~7、1テモテ1・12~16)この出来事が大きな影響を与えた事件であると共に、信頼できる歴史的事件だということです。

ダマスコへの旅の途上、突然、天からの光に照らされ、イエス・キリストの声を聴きました。サウロは目が見えなくなり、人々の手に引かれてダマスコに連れていかれました。(1~9) 盲目になったサウロは、「3日間、食べも飲みもしなかった」(8~9) つまり、彼は断食をしたのです。後ほど、ダマスコのアナニヤが幻で「今、彼は祈っている」とパウロを紹介されます。サウロは断食し、祈って、3日間を過ごしました。ただ、目が見えず、ショックを受けたからではありません。サウロは、明らかに神から打たれ、断食と祈りをもって悔い改めの3日間を過ごしていました。
この「3日間の断食と祈り」で、サウロは何を知らされたのでしょう。
①確信
エルサレムで処刑されたナザレのイエスは、殺された後に復活し、今、生きておられる。キリスト者が信じ、宣べ伝えていることは正しかったのだ!
②悟り(回心)
信者を迫害し、殺害することは、彼らの主であるイエスを迫害することである。イエスは、信じる者たち、キリストの教会と一体である。
③悔い改め
自分の信念からやってきたことが、全く間違っており、神への敵対であったということ。
私たちも(サウロほどの劇的回心でなくても)神に背く過去から、神に従う本当の真剣・真実な人生へと回心を遂げた者、新しい使命を受けた者なのです。(1テモテ1:15、16)

※本日、高橋牧師により洗礼式が執り行われました。
ご本人の希望で匿名とさせていただいております。

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