*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「知れ、わたしこそ神」
聖書の箇所 「詩篇46:1~11」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
46:1 神はわれらの避け所また力である。
悩める時のいと近き助けである。
46:2 このゆえに、たとい地は変り、
山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。
46:3 たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、
そのさわぎによって山は震え動くとも、
われらは恐れない。〔セラ
46:4 一つの川がある。
その流れは神の都を喜ばせ、
いと高き者の聖なるすまいを喜ばせる。
46:5 神がその中におられるので、都はゆるがない。
神は朝はやく、これを助けられる。
46:6 もろもろの民は騒ぎたち、もろもろの国は揺れ動く、
神がその声を出されると地は溶ける。
46:7 万軍の主はわれらと共におられる、
ヤコブの神はわれらの避け所である。〔セラ
46:8 来て、主のみわざを見よ、
主は驚くべきことを地に行われた。
46:9 主は地のはてまでも戦いをやめさせ、
弓を折り、やりを断ち、戦車を火で焼かれる。
46:10 「静まって、わたしこそ神であることを知れ。
わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、
全地にあがめられる」。
46:11 万軍の主はわれらと共におられる、
ヤコブの神はわれらの避け所である。〔セラ
この詩は時代を通じて多くの人に感動を与え、勇気をもたらせました。アイザック・ウオッツはこの詩篇を主題に「神はわが力、わが高きやぐら」(1719年)を作りました。
1、「神はわが力」
作者は神を観念的抽象的に説明せず、「神はわが力」と言い切ります。
これ以上に端的で実証的な説明はありません。これは生きた信仰の告白です。
信仰の告白はそれを体験した人の生きた言葉でなければなりません。また、イスラエルの民は先祖たちの歴史的な救いを記念して、彼らの信仰の告白を自分たちの告白としてきました。
2、「悩める時のいと近き助け」
悩める時のいと近き助けとは、本当に近くの近くということ、「そこにある助け」「手を伸ばせば届く助け」と訳されています。ある方は「信仰者に臨む試練や悩みの中にすでに神はおいでになる」と解釈します。誰でも試練や苦しみはいやですが、その試練の中にすでに神様はおられるのです。パウロは、私たち信仰者が試練や苦難の中で神を信頼するとき、その苦難と共に逃れる道をも神は備えていてくださる、苦難のただ中で、神の真実が逃れ場となって支えてくださると言います。「むしろ、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」((1コリント10・13、新改訳)これが試練の中で本当に近い助けがあるということです。
3、「神の前に静まる」
預言者イザヤの時代にユダが国家的危機を迎えた時、イザヤが繰り返し語ったことは「あなた方は立ちかえって、落ち着いているなら救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る。」(イザヤ30・15)ということでした。信仰には、神に祈って助けを期待しながら懸命に頑張るという一面と、神の前に一切の働きを止めてただ「静まる」という一面があります。「静まって、わたしこそ神であることを知れ」 信仰とは、神の前にもはや人間のわざを止め、静まって神の声を聴き、そこに現される神のわざをただ拝することなのです。この詩篇は、静まりの中の神の勝利が告白されています。