H27.11.1主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「罪赦された者として」
聖書の箇所 「ルカ 7:36~50」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
7:36 あるパリサイ人がイエスに、食事を共にしたいと申し出たので、そのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれた。
7:37 するとそのとき、その町で罪の女であったものが、パリサイ人の家で食卓に着いておられることを聞いて、香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、
7:38 泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った。
7:39 イエスを招いたパリサイ人がそれを見て、心の中で言った、「もしこの人が預言者であるなら、自分にさわっている女がだれだか、どんな女かわかるはずだ。それは罪の女なのだから」。
7:40 そこでイエスは彼にむかって言われた、「シモン、あなたに言うことがある」。彼は「先生、おっしゃってください」と言った。
7:41 イエスが言われた、「ある金貸しに金をかりた人がふたりいたが、ひとりは五百デナリ、もうひとりは五十デナリを借りていた。
7:42 ところが、返すことができなかったので、彼はふたり共ゆるしてやった。このふたりのうちで、どちらが彼を多く愛するだろうか」。
7:43 シモンが答えて言った、「多くゆるしてもらったほうだと思います」。イエスが言われた、「あなたの判断は正しい」。
7:44 それから女の方に振り向いて、シモンに言われた、「この女を見ないか。わたしがあなたの家にはいってきた時に、あなたは足を洗う水をくれなかった。ところが、この女は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でふいてくれた。
7:45 あなたはわたしに接吻をしてくれなかったが、彼女はわたしが家にはいった時から、わたしの足に接吻をしてやまなかった。
7:46 あなたはわたしの頭に油を塗ってくれなかったが、彼女はわたしの足に香油を塗ってくれた。
7:47 それであなたに言うが、この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない」。
7:48 そして女に、「あなたの罪はゆるされた」と言われた。
7:49 すると同席の者たちが心の中で言いはじめた、「罪をゆるすことさえするこの人は、いったい、何者だろう」。
7:50 しかし、イエスは女にむかって言われた、「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」。

ユダヤ的な表現では、神に感謝することは神を愛することです。

1、キリストが罪を赦してくださった
赦すとは無代価で恵みを与えることです。神の圧倒的な恵みによって私たちに救いが与えられました。借金であれ何であれ、その人を縛り付けているものから自由にする。
「あなたの罪は赦された」(48)とはそのことです。徹底して主イエスの恵みに委ねるのです。そうすると、本当の赦しと解放がわかってきます。自分の内側ばかり見つめ、弱い自分、汚れた自分を見て失望しているのではなく、赦しは神から来ること、そのため主イエスが十字架に罪を負ってくださり、一方的に罪の赦しを宣言しておられるのです。この女性は罪の女と言われていましたが、その汚れた多くの罪を赦され罪の生活から解放されて心から感謝し、イエスを愛する者となりました。

2、主は、罪の女性の愛を受け入れられる
主は、この罪の女がなすままを許しておられる主を心の中で批判しているパリサイ人シモンを問うておられます。罪を赦され主を愛する者となった女の奉仕と対比して、イエスを迎えたシモンの愛を問いかけられます。金貸しから500デナリの負債を赦された人と、50デナリの負債を赦された人を比較し
「どちらが多くその金貸しを愛するだろうか」と問い、
「帳消しにしてもらった額の多い方です」と答えさせ、
「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分る。」(共同訳)
と言われました。
「赦されることの少ない者は、愛することも少ない」とは、私たちも聞くべきおことばです。この女の「涙」は、彼女の罪の深い悔い改めであり、そんな罪深い自分を赦し受け入れて下さる主イエスに対する感謝です。彼女は主を愛するあまり、こぼれる涙で足を洗い、髪の毛をほどいて拭き、香油を塗って接吻しました。(44)感謝で満ち、愛するあまりの一連の行動は、周囲の人々を驚かせいぶからせましたが、主はこの女の愛とその奉仕を喜んで受け入れておられます。そして、主のお言葉(48~50)により、罪からの解放と平安のうちに、主を愛して生きるものとされました。

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