H27.8.9主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「岩なる主」
聖書の箇所 「サムエル記上 22:1~7」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)

22:1 こうしてダビデはその所を去り、アドラムのほら穴へのがれた。彼の兄弟たちと父の家の者は皆、これを聞き、その所に下って彼のもとにきた。
22:2 また、しえたげられている人々、負債のある人々、心に不満のある人々も皆、彼のもとに集まってきて、彼はその長となった。おおよそ四百人の人々が彼と共にあった。
22:3 ダビデはそこからモアブのミヅパへ行き、モアブの王に言った、「神がわたしのためにどんなことをされるかわかるまで、どうぞわたしの父母をあなたの所におらせてください」。
22:4 そして彼はモアブの王に彼らを託したので、彼らはダビデが要害におる間、王の所におった。
22:5  さて、預言者ガドはダビデに言った、「要害にとどまっていないで、去ってユダの地へ行きなさい」。そこでダビデは去って、ハレテの森へ行った。
22:6 サウルは、ダビデおよび彼と共にいる人々が見つかったということを聞いた。サウルはギベアで、やりを手にもって、丘のぎょりゅうの木の下にすわっており、家来たちはみなそのまわりに立っていた。
22:7 サウルはまわりに立っている家来たちに言った、「あなたがたベニヤミンびとは聞きなさい。エッサイの子もまた、あなたがたおのおのに畑やぶどう畑を与え、おのおのを千人の長、百人の長にするであろうか。

 ダビデ王の個人の感謝の歌で、詩篇18篇にも出てきます。若い日に、サウル王の手から救い出されたダビデが神様に歌った歌だと記されています。(1)
神への信頼と賛美
 神に信頼し神を賛美した素晴らしい賛美のことばがちりばめられています。神さまのことを「より頼む岩」、「城」、「わたしを救う者」、「盾」、「救いの角」、「高きやぐら」と実に多様な表現を用いて賛美をしています。これらの表現は、単なる神様を象徴することばではありません。神がどんなお方であるか、一人一人の神を見る見方、表現の仕方はその人の神経験を土台として語られます。ダビデは、彼自身が実際に試練に会い、敵に追われ岩場に身を隠して逃れるような危機的な困難に遭ったのです。そのような時、神はダビデの盾となってダビデを守ってくださったのです。そういう経験をしてきたことはとても大切です。神さまを信頼するとは、抽象概念や損得のレベルのことではありません。この神様をどう経験するかによって、その人の神をよぶ呼び方が変わってきます。本当に祈りが答えられた経験のある人は、神さまのことを「祈りに答えて下さる方よ、すべての人があなたのもとに来ます」と言うことができます。神様のことを「祈りに答えて下さる方」と呼ぶことができまることは本当に幸いです。しかし、ダビデにもそう呼べなかった時、状況がありました。いつも、祈りに答えてくださると言えない時、信頼できない不安な時もあったのです。5~7には、「死の波はわたしをとりまき、滅びの大水はわたしを襲った。」と言って、危機的な状況に神様に祈り求めています。そして、その苦しい必死の叫ぶ声を、神様は聞き過ごしにはなさいませんでした。民の叫びを聞き、天に着座しておられる神様が、自分からそのみ座から降りてきて、悩み苦しむ者たち民の間に来られたと言っています。(10、11)先祖たちが、エジプトの奴隷からモーセによって救い出されたときのことを思い起こし、先祖の信仰の伝承の中に、今、自分の身を置き、委ね、そして、生ける神を呼び、叫び祈ったのです。

主はわが岩、わが城、わたしを救う者、わが神、わが岩、わたしは彼により頼む。 サムエル22:3

プログラム 時間 音声
前奏 0:47

賛美:天地(あめつち)こぞりて 0:40

交読:24 詩篇67篇 1:11

主の祈り 0:54

使徒信条 1:11

賛美15: われらの御神は 2:54

聖書 サムエル記上 22:1~7 2:15

私たちの未来 4:52

説教:岩なる主

10:00

10:00

10:00

10:00

 3:55

 

賛美308:高き岩よ 3:16

感謝の祈り 2:48

頌栄63: 父御子御霊の 1:36

 

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