H27.2.1主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「幼な子のように」
聖書の箇所 「マタイ18:1~5」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)

18:1 そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。
18:2 すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、
18:3 「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。
18:4 この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。
18:5 また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。

 この世は優劣を競う競争社会です。そこは、この世の価値観が支配し、「ピラミッド型」の社会を形成します。しかし、聖書の価値観は全く異なり、ちょうどこの世を真逆にした「逆ピラミッド型」の価値観、世界観なのです。(マタイ20: 26-28)

1、だれが一番偉いか
 ある時、弟子たちが主に「天国ではだれが一番偉いのですか」と尋ねました。これは、彼らが夢中になっていた議論でした。主がご自分の十字架の予告をされた時も、明日十字架につかれる「最後の晩餐の席上」でも、彼らの関心は自分たちの序列でした。私たちが主の十字架の恵みを忘れる時、人間の思いを優先し、自己を主張し、教会は一致を失って、際限のないさばき、いがみ合いに終始してしまいます。わたちはこのような愚かを、絶対に避けなければなりません。(ピリピ2章)

2、幼な子のように自分を低くする
 主は、『あなたがたは、心を入れかえて幼子のようにならなければ、天国に入ることはできない』」と悔い改め神の国の価値観へと方向転換するよう言われました。秘訣は「幼子のようになる」ことです。「他人や幼子をとるに足りないと見なすあなたがたこそ、天国に入るためには、自分自身が取るに足らない者であることに、気付かなくてはならない」と言われたのです。自分の弱さ罪深さを潔く認め、神の憐れみに信頼することです。真の自分が、頼らねば生きていけず、保護を必要としている存在であると気付き、「心の貧しい人」になるべきです。

3、互いを、イエスの名のゆえに受け入れる
 主イエスは,最も無価値とみなされた幼な子を、「私の名のゆえに受け入れる」よう命じられました。幼な子だけでなく、どんな人をも主イエスのゆえに受け入れることは、「私を受け入れること」 と言われます。
「わたしの兄弟である、これらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。」(25:40)
「キリストは、彼のためにも死なれた。」(ローマ14:15)

最も小さな者のひとりのために、神の御子のいのちの代価が支払われ、神にとっては、それほど大切な人であるとの認識です。

心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。 マタイ18:3

プログラム 時間 音声
前奏 0:38
賛美:天地(あめつち)こぞりて 0:46
交読:4 詩篇18篇 2:59
主の祈り 0:53
使徒信条 1:10
賛美8: 七日の旅路

2:51

聖書 マタイ18:1~5 0:49
賛美:340 救い主イエスと 2:18
説教:幼な子のように

10:00

10:00

10:00

10:00

10:00

 8:30

聖餐式 49:しみも咎も 3:05
賛美343:罪に満てる世界 3:19
感謝の祈り 1:18
頌栄63: 父御子御霊の 1:33

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