H27.1.4新年礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「雄々しくあれ」
聖書の箇所 「ヨシュア記1:1~9」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)

1:1 主のしもべモーセが死んだ後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに言われた、
1:2 「わたしのしもべモーセは死んだ。それゆえ、今あなたと、このすべての民とは、共に立って、このヨルダンを渡り、わたしがイスラエルの人々に与える地に行きなさい。
1:3 あなたがたが、足の裏で踏む所はみな、わたしがモーセに約束したように、あなたがたに与えるであろう。
1:4 あなたがたの領域は、荒野からレバノンに及び、また大川ユフラテからヘテびとの全地にわたり、日の入る方の大海に達するであろう。
1:5 あなたが生きながらえる日の間、あなたに当ることのできる者は、ひとりもないであろう。わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共におるであろう。わたしはあなたを見放すことも、見捨ることもしない。
1:6 強く、また雄々しくあれ。あなたはこの民に、わたしが彼らに与えると、その先祖たちに誓った地を獲させなければならない。
1:7 ただ強く、また雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法をことごとく守って行い、これを離れて右にも左にも曲ってはならない。それはすべてあなたが行くところで、勝利を得るためである。
1:8 この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。
1:9 わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない」。

 「足の裏で踏むところ」この新しい年、信仰の歩みを皆さんと共にさせていただきたいと願います。ヨシュア記は戦いの記録です。それは、終始、信仰による戦いでした。この「戦い」は、私たちを信仰のレベルから引きずり下そうとする一切の営みに対する「戦い」を意味します。言い換えれば「信仰とは、不信仰との戦い」です。信仰者は、常に「不信仰」によって脅かされ、苛(さいな)まれてしまう存在なのです。実に、信仰の敵は、不信仰なのです。信仰は、停滞ができないものです。停滞も後退もできません。この年、信仰によって自分の足で踏んでいくところから出発したいと願います。主は、「あなたがたが、足の裏で踏むところはみな、わたしがモーセに約束したように、あなたがたに与えるであろう」と言われます。神様がすべてのものを与えると約束してくださっています。ですから、私たちがその約束に従って歩み、神の約束を見上げながら、神の恵みに支えられていく歩みがそこにあるのです。

1、信仰の実践 3
 神は、ヨルダンの向こうに広がる約束の地を、あなた方に与えると言われました。その地は豊かな地です。しかし、待っていたのではなく、彼らは、信じて出て行って、実際にその地を足の裏で踏んで獲得したのです。神様の素晴らしい約束を得させるのは信仰の実践です。

2、臨在の約束 5
 私たち自身が、自分の歩みを確かにものとし、踏ませて下さる力は、主ご自身の臨在にあります。「共にいる」との約束です。

3、みことばへの服従 7,8
 主のご臨在そのものを確信することは、私たちが、みことばに自分の歩みをかけることによってなされるのです。今年こそ、御言葉を聞くこと、聞いて従うことに徹底していきましょう。

強く、また雄々しくあれ。     ヨシュア記1:6

プログラム 時間 音声
前奏 0:40
賛美:天地(あめつち)こぞりて 0:44
交読:1 詩篇1篇 0:54
主の祈り 0:54
使徒信条 1:07
賛美2: たたえよ救い主イエスを

2:29

聖書 ヨシュア1:1~9 1:01
賛美274: この日は主が造られた 2:22
説教:雄々しくあれ

10:00

10:00

10:00

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 6:54

聖餐式:しみも咎も 3:00
賛美398:あたらしき地に 2:24
感謝の祈り 2:02
頌栄63: 父御子御霊の 1:30

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