H26.11.23主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「信じて見上げる」
聖書の箇所 「民数記 21: 4~9」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)

21:4 民はホル山から進み、紅海の道をとおって、エドムの地を回ろうとしたが、民はその道に堪えがたくなった。
21:5 民は神とモーセとにむかい、つぶやいて言った、「あなたがたはなぜわたしたちをエジプトから導き上って、荒野で死なせようとするのですか。ここには食物もなく、水もありません。わたしたちはこの粗悪な食物はいやになりました」。
21:6 そこで主は、火のへびを民のうちに送られた。へびは民をかんだので、イスラエルの民のうち、多くのものが死んだ。
21:7 民はモーセのもとに行って言った、「わたしたちは主にむかい、またあなたにむかい、つぶやいて罪を犯しました。どうぞへびをわたしたちから取り去られるように主に祈ってください」。モーセは民のために祈った。
21:8 そこで主はモーセに言われた、「火のへびを造って、それをさおの上に掛けなさい。すべてのかまれた者が仰いで、それを見るならば生きるであろう」。
21:9 モーセは青銅で一つのへびを造り、それをさおの上に掛けて置いた。すべてへびにかまれた者はその青銅のへびを仰いで見て生きた。

荒野の旅が長く続いた時、イスラエルの民は生活の困難に耐え難くなり神とモーセに不平を言って逆らいました。それは、荒野の中で与えられた日々の食物のことでした。

1、荒野の生活における不平と不満
 民は荒野の旅を続ける中、思うようにならないいらだち、失望、落胆に耐え難くなりました。このいらだちは、すぐ指導者への反抗、神への不平不満となります。彼らはマナを喜んで食べ荒野で養われてきたのでが、いつしか、感謝もなく喜びも失い不平不満を言い出しました。神の恵みに慣れてしまったのです。恵みがあたりまえになり、飽き飽きしたと言う人間の罪深さです。ここに警告があります。天よりのパンであるキリストを(ヨハネ6:48~51)いただきつつ、いつしか恵みに慣れて、みことばや祈りが味気なく、神の恵みの手段に飽きてしまう危険性があります。

2、火のへび(神の速やかなさばきと、周囲への警告)
 神はこの民に直ちに<火の蛇>を送られました。ひと噛みで人を死に至らせ、火に触れるような激痛が走ります。民はモーセに叫び「私たちは罪を犯しました。どうぞ、主に頼んでこのヘビを取って下さい。」と叫びました。不平不満は伝染し人を巻き込む大きな罪です。神にさばかれ、痛みを知って初めて理解します。

3、救いの手段(青銅のへび)
 へびを送られた神は、その救いの手段も備えられます。さばきが目的でなく、愛ゆえに民の罪と悪をさばかれる神は、モーセに命じ青銅の蛇を作らせ、長い竿に掲げて、民が蛇を仰いで見るなら生きることができようにされました。

4、仰ぎ見て生きる
 宿営のどこにいても、仰いで見たものは生きたのです。しかし、信じないで仰がなかった者は、苦しみもだえながら死んだのです。「見上げて、生きる」とは、青銅のへび自体に何か救う力があるのでなく、「揚げられた蛇を見た者は生きる」と言われた神のことば、約束を信じる“仰ぎ見る信仰”によって神が救ってくださるのです。この青銅のへびはキリストの型です。(ヨハネ3:14) イエスを仰ぎ見て、救われるのです。罪なき神の御子が罪とされ、私たちのためにのろわれた者となってくださったのです。(ガラテヤ3:13)

すべてへびにかまれた者は その青銅のへびを仰いで見て生きた。 民数記21:9

プログラム 時間 音声
聖書 民数記 21: 4~9 2:18

説教:信じて見上げる

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