H26.7.6主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「我は身体のよみがえりを信ず」
聖書の箇所 「1コリント15:35~44」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)

15:35 しかし、ある人は言うだろう。「どんなふうにして、死人がよみがえるのか。どんなからだをして来るのか」。
15:36 おろかな人である。あなたのまくものは、死ななければ、生かされないではないか。
15:37 また、あなたのまくのは、やがて成るべきからだをまくのではない。麦であっても、ほかの種であっても、ただの種粒にすぎない。
15:38 ところが、神はみこころのままに、これにからだを与え、その一つ一つの種にそれぞれのからだをお与えになる。 15:39 すべての肉が、同じ肉なのではない。人の肉があり、獣の肉があり、鳥の肉があり、魚の肉がある。
15:40 天に属するからだもあれば、地に属するからだもある。天に属するものの栄光は、地に属するものの栄光と違っている。
15:41 日の栄光があり、月の栄光があり、星の栄光がある。また、この星とあの星との間に、栄光の差がある。
15:42 死人の復活も、また同様である。朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり、
15:43 卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、弱いものでまかれ、強いものによみがえり、
15:44 肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるわけである。

「人が死ぬと、生き返るのでしょうか。」(ヨブ14:14) 昔の時代のヨブの問いは、あらゆる時代のあらゆる人間に共通した問いではないでしょうか。死の現実がいつもそこにあり、「死んだら、すべてが終わるのか!」という不安と嘆きが満ちる世界で、キリスト者は 毎週礼拝で「我は身体のよみがえりを信ず」と告白しています。

1、キリストの復活に結びつく
 「もし私たちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。」(ローマ6:5) キリストに結びつく信仰は、キリストの復活にも結びあわされます。私たちが「身体のよみがえりを信ず」と告白した時、それはキリストの復活に結び合わされ、キリストが甦られたように、自分もまたよみがえることを信じているのです。キリストの復活は「初穂」(15:20)と呼ばれます。キリストが初穂となってよみがえり、続いて、信じる者たちが大収穫となって復活の身体をもって次々とよみがえるのです。

2、身体のよみがえり
 キリスト信仰の復活は「身体のよみがえり」です。たましいと肉体を分ける二元論でなく、肉体は悪の温床であって、その肉体を滅却して初めてたましいはまことの自由を得る(ギリシャ思想、グノーシス主義)とは考えません。聖書は肉体世界、物質世界を悪とみなしません。神は身体をもった人間を創造し、祝福されました。キリストは「受肉」され、信じる者の肉体のうちには、聖霊が宿ってくださるのです。どうして肉体が悪であるでしょう。「しかし、わたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。」(2コリント4:7) この死ぬべき身体を聖霊が支えてくださるのです。人の身体は弱く不完全であり、苦しみの原因となり、罪を犯すきっかけともなり、肉体が重荷となることがあります。しかし、身体は軽んじられるべき存在、卑しい存在ではありません。神が創造された素晴らしい傑作であり、聖霊が宿ってくださる神の宮なのです。そして、やがて「御霊のからだ」(15:44)に変えられるのです。これが、復活の希望です。

肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。 肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるわけである。   1コリント15:44

プログラム 時間 音声
前奏 0:46

賛美:天地(あめつち)こぞりて

0:44

交読:20 詩篇57 1:14

主の祈り 0:56

使徒信条 1:13

賛美4: 子羊をば 2:41

聖書 1コリント15:35~44 2:27

賛美471: われ聞けり かなたには 2:45

説教:我は身体のよみがえりを信ず

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聖餐式:49 しみも咎も 3:07

賛美465: いつかは知らねど 3:40

感謝の祈り 2:23

頌栄63: 父御子御霊の 1:30

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