H26.4.6主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「我は天に昇り、神の右に着座されたキリストを信ず」
聖書の箇所  「へブル12:1~2」
 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
12:1 こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。
12:2 信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。

 復活したキリストは、天に昇られ、父なる神のところに帰られました。そして、神の右に出て、今もさらに豊かなお働きをなさっておられます。

1、「神の右に着座された」
 神の御座の右」とは権威の象徴です。キリストはすべての権威を持たれました。その権威をどのようにふるまわれるのでしょう。 「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」(へブル12:2、新改訳) へブル人の手紙が一番強調しているのは、権威者としてのキリストではなく、 「もろもろの天を通られた偉大な大祭司」(4:14)としてのキリストです。「大祭司」は、常に民の側に立ち、民の罪をとりなすためにいけにえをささげ、赦しを請います。キリストの十字架によって罪赦され、私たちは大胆に神の恵み座で祝福を受けることができるのです。今、天に昇り神の右に着座されたキリストは、十字架の贖いの血潮を持って私たちのため執成してくださっているのです。

2、「わたしたちのために立ち上がってくださる」
 着座した主キリストが、立ち上がっている姿を見た人がいます。それがステパノでした。彼は当時の宗教家に対して臆することなく、あなたがたが十字架につけて殺したイエスは神の救い主であったと主張しました。人々は怒り心頭に発し、ステパノを殺そうとしました。その時、ステパノは天を見つめ「神の右に立っておられるイエスを」見たのです。(使徒7章)法廷では、裁判官は高い座席に座ります。それは、法廷の権威のしるしです。立つのは、検事と弁護人です。地上の法廷がステパノを死刑にしようとしたとき、天の法廷で、キリストが立ち上がられました。キリストが立ち上がられたのは、彼を助け、彼を弁護するためです。 弁護する方は、わたしの全てを知っていてくださり、弱さもなにもかもご存知です。私を弁護するために、立ち上がってくださいます。(へブル4:15)

彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。   へブル12:2
プログラム 時間 音声
前奏 0:48

賛美:天地(あめつち)こぞりて

0:45

交読11: 詩篇32篇 1:43

主の祈り 0:54

使徒信条 1:13

賛美20: 主の真実はくしきかな 3:09

聖書 ヘブル12:1~2 0:53

賛美105: 栄えの冠を 2:34

説教:

 

 

 

 

我は天に昇り、神の右に着座されたキリストを信ず

10:08

10:05

10:05

10:17

10:07

 9:26

聖餐式 (賛美49:しみも咎も) 3:03

賛美311: いかに恐るべき 2:20

頌栄63: 父御子御霊の 1:28

 

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