H25.9.15:第6回特別伝道礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「十字架の意味」
聖書の箇所  「1コリント1:18」
 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
1:18 十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。

 古代オリエントにおいて犯罪者の処刑法として十字架刑かおりましたが、この処刑法を完成したのはローマです。十字架は人間が考え出した最も残酷な処刑法で、社会的に人間以下とみなされた者のみに適応されました。キリストはローマ法廷で裁かれ、死刑宣告され、十字架で死なれました。しかしキリストの十字架は預言されており、イエスご自身も弟子たちに繰り返し予告しておられたのです。キリストの十字架は想定され、計画されたことであり、そこには深い意味と神の御目的があったのです。キリストの十字架の意味とは何でしょう。

1、人間の罪の醜悪さ
 十字架は残酷で醜悪です。しかし、その醜悪さは十字架に架られたキリストの醜さではありません。キリストは聖く義なるお方であるのに、人の罪のために身代わって神のさばきを受けられたのです。従って十字架の醜さは私たち人間の罪の醜さなのです。キリストを十字架につけたのは、当時の人間の神への反逆心とエゴイズムでした。その同じ罪を抱えている私たちは、私は関係ないと言えません。まさにあの醜悪で残酷な十字架こそは人間の醜悪で冷たい残酷な利己心、私たちの罪深さを露骨に表わすものなのです。

2、神のさばきのきびしさ
 キリストは十字架上で「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれました。それは決して弱音ではなく十字架の上で「父なる神から断絶され、切り離され見捨てられた」という自覚から出たものです。罪を憎み、罪を罰しないではおかない神のさばきの峻厳さを十字架上に一身に受けとめられたキリストの意識、呻きです。想像を絶する肉体の苦痛だけでなく、父に見捨てられる審きの極致を、キリストは私たちに代わって十字架の上で味あわれたのです。わたしたちに臨むべき神の怒りが、避雷針のようにキリストの上に集中したのです。

十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。 1コリント1:18

プログラム 時間 音声
Ⅰ、賛美歌を歌おう    
 (1)♪いつくしみきふかき 3:56
 (2)♪生けるかぎり 3:30
 (3)♪主のみことばを待ち望む 5:08
 (4)私の信仰紹介 14:55
 (5)主の祈り 0:57
Ⅱ、聖書のお話し    
 (1) 十字架の意味

10:19

10:06

10:11

 7:29

 (2)賛美112:カルバリ山の十字架 2:38

 (4)賛美165:栄光イエスにあれ
 (5)祝福の祈り

1:40

 

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